概要
本稿では、高精度の絶縁型シグナル・チェーンのリファレンス設計を紹介します。そのリファレンス設計は、データ・アクイジションのアプリケーションに最適なプラットフォームとして機能します。これを利用すれば、精度の維持と信頼性の向上という大きなメリットが得られます。
はじめに
本格的なデジタルの時代を迎えた結果、1つのパラダイム・シフトが生じました。それは、新たに顕在化した複雑な課題の解決に向けて、エッジにインテリジェンスな機能を持たせるようにするというものです。その種のエッジの中核を成すのは、データ・アクイジション・システム(DAQシステム)です。そして、データ・アクイジションの分野では精度と信頼性が非常に重要になります。最高レベルの精度と完全性を確保するためには、ある重要な要素に注目する必要があります。その要素が高精度の絶縁型シグナル・チェーンです。
高精度の絶縁型シグナル・チェーンとはどのようなものか?
本稿の主題として取り上げるのは、高精度の絶縁型シグナル・チェーンです。本稿において、この言葉は、周囲の環境から電気的に絶縁された状態を維持しつつ、高い精度で正確に信号のアクイジションや処理を実行できるように設計されたシステム/回路のことを指します。多くの場合、絶縁用の回路は、一連のシグナル・コンディショニング段の一部として存在しています1。通常、絶縁は安全性の確保とデータの完全性の確保という2つの目的を達成するために利用されます。より詳しく言えば、絶縁を施すことによって以下のようなメリットが得られます。
- ノイズと干渉の低減:絶縁技術の1つに、トランスやオプト・カプラを利用するガルバニック絶縁があります。このような技術を採用することで、シグナル・チェーンにおけるコモンモード電圧の変動、グラウンド・ループ、電磁干渉(EMI)を排除することができます。また、外部のノイズ源によって測定の対象となる信号が劣化することを防ぎ、よりクリーンで正確な計測を実施することが可能になります。.
- グラウンド・ループの除去:グラウンド・ループが存在すると、測定の対象となる信号を歪ませる電位差が生じる可能性があります。絶縁技術を適用すれば、グラウンド・ループのパスが切断されます。その結果、グラウンド電位の変化によって生じる干渉を効果的に回避し、測定精度を高めることが可能になります。
- 安全性と保護:絶縁バリアを使用すれば、電気的な問題を回避して安全性を確保することができます。危険な電圧スパイクや、トランジェント、サージが、損傷を受けやすいコンポーネントに到達するのを防止できるということです。絶縁バリアには、測定用の回路と、接続された機器の両方を保護する効果があります。そのため、安全かつ信頼性の高い動作が保証されます。絶縁を適用すれば、回路を保護するだけでなく、システムにかかわる設計者とエンド・ユーザを危険な電気的事象から守ることが可能になります。
高精度の絶縁型シグナル・チェーンは、一連のコンポーネントと技術によって実現されます。それらの要素は、高精度の測定とデータの完全性を確保するために連携して機能します。通常、主要なコンポーネントとしては、高精度のアンプ、絶縁バリア、フィルタ回路、分解能の高いA/Dコンバータ(ADC)などが使用されます。これらのコンポーネントが連携して動作することにより、ノイズが除去され、干渉が最小限に抑えられるということです。その結果、信号を高い精度で測定することが可能になります。図1に示したのが、上記の主要なコンポーネントによって構成された高精度の絶縁型シグナル・チェーンの例です。この「ADSKPMB10-EV-FMCZ」は、完全絶縁型でレイテンシの小さいシングルチャンネルのDAQシステムとして機能します。また、このシステム全体を高精度かつコンパクトなプラットフォームとして利用できます。このプラットフォームには、PGIA(Programmable Gain Instrumentation Amplifier)を備えるシグナル・コンディショニング回路、デジタル回路、電源用の絶縁回路などが統合されています。以下では、各回路ブロックの詳細について説明します。それぞれの性能や、非絶縁型の同等の回路と比較した場合の長所などを明らかにします。
データと電源の絶縁
Pmod™とFMC(FPGA Mezzanine Card)の間のインターポーザ・ボードは、デジタル・アイソレータ、レギュレータ、ガルバニック絶縁を実現するためのトランスを備えています。ガルバニック絶縁は、電気回路を分離して迷走電流を排除するための手法です。やり取りする必要がある信号は、ガルバニック絶縁が施された回路の間を通過できます。それに対し、グラウンドの電位差やAC電源によって誘起される電流などの迷走電流はガルバニック絶縁によって遮断されます2。
まず、データの絶縁は、3kV rmsに対応するデジタル・アイソレータ「ADuM152N」と「ADuM120N」によって実現されます。これらの製品は、コモンモード過渡耐性(CMTI:Common Mode Transient Immunity)が高く、放射ノイズや伝導ノイズに対しても堅牢です。加えて、伝播遅延は小さく、動的消費電力も少なく抑えられています。更に、これらのアイソレータの実装は容易です。それにもかかわらず、オプト・カプラなどの一般的な代替技術を使用する場合と比べて卓越した性能/特性を得ることができます。最大伝播遅延は13ナノ秒で、パルス幅歪みは5ナノ秒未満です。ADuM152NとADuM120Nにおけるチャンネル間の伝播遅延のマッチング性能は、それぞれ最大4.0ナノ秒、3.0ナノ秒です。
高精度の絶縁型シグナル・チェーンには、その動作に関する要件を満足する絶縁型の電源回路が必要です。その電源回路は、高精度のシグナル・チェーンの性能に影響を及ぼすものであってはなりません。つまり、その電源回路からのエミッションが小さいことが保証されている必要があります。それだけでなく、高い効率を実現しつつ、安全性の面で求められる要件を満たしていなければなりません。
電源の絶縁に適した選択肢としては、低ノイズのプッシュプルDC/DCドライバ「LT3999」が挙げられます。このドライバは、プログラマブルな電流制限機能を備え、1Aに対応するデュアルスイッチを内蔵しています。スイッチング周波数は50kHzから1MHzの範囲で調整できます(外部クロックと同期をとることも可能)。入力電圧範囲は2.7V~36V、シャットダウン電流は1μA未満です。LT3999はプッシュプルのトポロジを採用しているので、同ICを使用する回路の設計と実装は容易です。必要な部品点数も少なく抑えられています。このトポロジは本質的に対称性を備えているので、放射エミッションも抑制されます。
図2に示すように、このリファレンス・プラットフォームの電源回路は、FMCコネクタからの12Vを絶縁しつつデータ・アクイジション・ボードに必要な電力を供給できるように設計されています。これを実現するために、LT3999によって2.5kVrmsに対応する絶縁型電源トランス(Pulse Electronics製の「PH9085.083NL」)を駆動します。
なお、LT3999はパワー・コンバータの一種ですが、その出力電圧はレギュレートされていません。図3に示すように、出力電圧は負荷が増大すると低下します。
このリファレンス・プラットフォームには、ポスト・レギュレータとしてLDO(低ドロップアウト)レギュレータ「ADP7105」が実装されています。これは、必要に応じてレギュレートされた3.3V出力を得るためのオプションです。また、このプラットフォームでは、インターポーザ・ボードを介して測定回路またはデータ・アクイジション回路全体にガルバニック絶縁を適用しています。そのため、コモンモード電圧の変動と外部ノイズ源の影響を最小限に抑えられます。このことは、この設計が絶縁型の測定回路を実現するための高精度で経済的で効率的な方法であることを示しています3。
精度の維持
シグナル・チェーンについては、単に絶縁技術を適用すればよいというわけではありません。シグナル・チェーン内部のビルディング・ブロックにおいては、十分なマッチングを実現する必要があります。各コンポーネントは、シグナル・チェーン全体の性能に寄与します。つまり、システム全体の精度を維持するためには、個々のコンポーネントに気を配ることが非常に重要です。
一般に高精度品に位置づけられるアンプは、精度が高く、ノイズが小さく、オフセット電圧が小さいことを特徴とします。シグナル・チェーンで使用するアンプ回路では、信号のコンディショニングと増幅を高い精度で行うことが重要です。つまり、歪みやオフセットを生じさせることなく、取得した信号を忠実に表現できるようにします。また、高周波のノイズや不要な信号を減衰させるためには、ローパス・フィルタなどのフィルタ回路がよく使用されます。その種のフィルタは、もともと対象としている信号だけを通過させます。そうしたフィルタをシグナル・チェーンに適用することにより、測定の対象となる信号の精度と完全性がより高まります。最後に、分解能の高いADCを使用して、アナログ信号をデジタル・データに変換します。システムでは、得られたデータを活用して更なる処理と分析を実施します。分解能とサンプリング・レートの高いADCを使用すれば、アナログ信号を高い精度で正確にデジタル化することができます。リファレンス・プラットフォームでは、所望の性能を達成できるようにこれらのコンポーネントを厳選して使用しています。
先述したように、リファレンス・プラットフォームのデータ・アクイジション・ボードにはPGIAが実装されています。そのPGIAは、以下に挙げるいくつかのコンポーネントを使用し、ディスクリートな構成で実現されています。
- ADA4627-1: JFET入力の高速オペアンプ。ノイズとバイアス電流が小さく抑えられています。
- LT5400: 高い精度でマッチングのとれたクワッド抵抗ネットワーク
- ADG1209: iCMOS® 技術を採用した4 チャンネルのマルチプレクサ。低容量の製品であり、± 15V/12V の電源に対応します。
- ADAQ4003: このデータ・アクイジション製品が内蔵する完全差動アンプ(FDA)を使用してPGIA を構成しています。
フロント・エンドのPGIAは、様々なセンサーと直接インターフェースを確立できるよう高い入力インピーダンスが実現されています。入力信号としては、ユニポーラの信号、バイポーラの信号、シングルエンドの信号、様々なコモンモード電圧の差動信号などが使われる可能性があります。それらの様々な信号の振幅を回路に適合させるために、ゲインをプログラムする機能を設けています。リファレンス・プラットフォームのPGIAは、データ・アクイジション・ソリューションであるADAQ4003と共に動作します。ADAQ4003はμModule®技術で実現された製品であり、分解能が18ビットでデータ・レートが2MSPSの逐次比較型ADC(SAR ADC)を内蔵しています。図4に、リファレンス・プラットフォームのシグナル・チェーン全体を示しました。
リファレンス・プラットフォームの静的な性能を検証するために、積分非直線性(INL)と微分非直線性(DNL)を測定しました。図5と図6は、コードとDNL誤差、INL誤差の関係を示したものです。これらの値は、ゲインを様々な値に設定して測定しました。図5に示したように、DNL誤差の標準的な偏差は±0.6LSB程度です。また、ミッシング・コードのない単調な伝達関数が得られることもわかります。一方、INL誤差の標準的な偏差は±2.097LSBです。また、図6を見ればわかるように、INLはコードに対してS字型のカーブを描いています。これは、奇数次の高調波の影響が大きいことを表しています4。これらのグラフから、シグナル・チェーン全体で十分な直線性が得られていることがわかります。
上述したとおり、リファレンス・プラットフォームのシグナル・チェーンでは、高精度のアンプ、シグナル・コンディショニング回路、分解能の高いADCを使用しています。それにより、信号の歪み、オフセット、非直線性を最小限に抑えています。その結果、高精度の測定が可能になります。また、ガルバニック絶縁を適用していることから、コモンモード電圧の変動が更に低減されると共に、グラウンド・ループの影響が排除されます。このことも、高精度の信号測定に大きく寄与します。
ノイズと干渉の最小化
ノイズと干渉もデータ・アクイジションにおける一般的な課題です。これらは、コンポーネントまたは外部の発生源から生じます。高精度の絶縁型シグナル・チェーンでは、堅牢性の高い絶縁バリア、シールド、グラウンディング、フィルタ技術によってこれらの問題に対処しています。また、μModule製品であるADAQ4003にはノイズを低減するための技術が組み込まれています。そのため、高い忠実度で信号を取得することが可能です。
具体的には、ADAQ4003が内蔵するADC用ドライバの出力部とSAR ADCの入力部の間に1極のローパス・フィルタ(RCフィルタ)が配置されています。このフィルタは、高周波ノイズの除去、SAR ADCの入力部における電荷のキックバックの低減、セトリング・タイムと入力信号帯域幅の最大化といった効果をもたらします5。加えて、μModule製品であるADAQ4003の内部ではレイアウトも最適化されています。例えば、アナログとデジタルの信号パスを分離することにより、両信号のクロスオーバーを回避し、放射ノイズを抑制しています。
DAQシステムには、性能に関連する数多くの動的パラメータが存在します。ただ、本稿ではダイナミック・レンジ、S/N比(Signal to Noise Ratio)、THD(全高調波歪み)の3つだけを取り上げることにします。
ダイナミック・レンジは、ノイズの影響を受けない電圧の最小増分を決める上で不可欠な指標です。その値は、デバイスのノイズ・フロアと、規定された最大出力レベルの信号の比として定義されます6。具体的には、以下の式を使用することで算出します。本稿の例では、リファレンスは5V、出力データ・レートは2MSPSという条件の下、入力をグラウンドに短絡した状態でダイナミック・レンジを測定しました。図7に示したのが、ゲインを様々な値に設定してダイナミック・レンジを測定した結果です。最大のゲインを設定した場合の代表値は93dB、最小のゲインを設定した場合の代表値は100dBです。オーバーサンプリング比を1024倍に高めると、測定値は更に改善されます。具体的には、それぞれ最大123dBと130dBに達します。
式(1)を使用して出力を基準とする等価総ノイズについて解くと、1.12μV rmsという小さな値が得られます(オーバーサンプリング比を1024倍、ゲインを最小値に設定した場合)。ダイナミック・レンジの測定値が高いほど、システム全体のノイズは小さいということになります。
S/N比は、高調波成分とDC成分を除くすべてのスペクトル成分(2乗和平方根(rss)の平均値)に対する信号の振幅(rms値)の比として定義されます7。わかりやすく表現すれば、以下の式のようになります。
一方、THDは、基本信号の高調波(rss値。通常は最初の5次までの高調波を使用)に対する基本信号(rms値)の比として定義されます7。これについては、以下の式で表現できます。
本稿の例では、-0.5dBFSの正弦波信号を反転入力と非反転入力の両方に印加し、S/N比とTHDを測定しました。図8と図9に示したのが、ゲインを様々な値に設定してS/N比とTHDを測定した結果です。シグナル・チェーン全体としては、最大S/N比が98dB、THDが-118dBという性能を達成しています。ただ、それらの値は、入力信号の周波数が高い場合やゲインの設定値が大きい場合には低下します。
アプリケーションにもたらされる効果
高精度の絶縁型シグナル・チェーンは、様々な業界、様々なアプリケーションに効果をもたらします。例として、科学研究の分野について考えてみましょう。物理学、化学、生物学などの分野では、精度と再現性が非常に重視されます。高精度の絶縁型シグナル・チェーンを活用すれば、そうした精密な測定が可能になります。また、産業用オートメーションにこのシグナル・チェーンを適用すれば、プロセスの制御、品質の監視、設備の診断をより高い精度で実施できます。医療用アプリケーションでは、生理学的な信号を高い精度で監視/診断できるようになります。あるいは、環境のモニタリング、エネルギーの管理、通信などの分野でも大きな効果が得られます。これらの分野で意思決定や最適化を行う上では、信頼性の高いデータ・アクイジションが不可欠です。
フローティングDAQシステム
ETM(Electronic Test and Measurement)のアプリケーションにはフローティングDAQシステムが最適です。一般的な電圧の測定には、2つの基準点が使われる可能性があります。1つは高い電位、もう1つは低い電位/ゼロ電位(アース・グラウンドと呼ばれます)です。しかし、アース・グラウンドを基準として使用する場合、高電圧を測定する際には危険が生じる可能性があります。信号が重畳しているコモンモード電圧が高い場合、シグナル・チェーン内の個々のコンポーネントに対して害が及ぶかもしれません。つまり、装置やデータが損傷してしまう可能性があるということです。更に、高電圧は装置を使用する人を危険な目に遭わせるおそれもあります。アース・グラウンドを使用するシステムでは、グラウンド・ループによって発生するノイズ、カップリング、干渉も懸念材料になります8。
フローティングDAQシステムは、分離されたフローティング・グラウンド・ポイントを備えています。そのため、上記のようなリスクを回避できます。フローティングで測定を行う場合、測定個所までのパスを短くすることが可能です。また、コモンモード電圧に重畳された信号の測定/収集も容易になります。図11に示したボードを見ると、異なるいくつかのグラウンド・ピンが用意されていることがわかります。
まとめ
高精度の絶縁型シグナル・チェーンは、データ・アクイジションの分野に多大な効果をもたらします。精度の維持、ノイズと干渉の最小化、データの完全性の確保を実現できるようになるからです。シグナル・チェーンに、高精度のアンプ、絶縁回路、高分解能のADC、低ノイズ/低エミッションのパワー・マネージメント回路を統合することで、過酷な環境でも高い精度で測定を実施できるようになります。その効果は広範な分野に及び、科学研究、産業用オートメーション、ヘルスケアなどの進化を促します。精度と信頼性に優れるデータ・アクイジションに対する需要は高まり続けています。高精度の絶縁型シグナル・チェーンは、技術革新を牽引し、データ駆動型のアプリケーションの可能性を最大限に高めます。そのようなシグナル・チェーンが重要であることは明らかです。
参考資料
1 Jen Lloyd「デジタル・アイソレーション技術:安全性とデータ・インテグリティを終始一貫して確保する」Analog Devices
2 Galvanic Isolation(ガルバニック絶縁)、Analog Devices
3 「Digital Isolators Simplify Design and Ensure System Reliability(デジタル・アイソレータによる設計の簡素化、システムの信頼性の確保)」Analog Devices、2012年6月
4 「高速アナログ-ディジタルコンバータ(ADC)のINL/DNL測定」Analog Devices、2001年11月
5 Maithil Pachchigar「μModuleデータ・アクイジション・ソリューションは、広範な高精度アプリケーションに関する技術的課題の解決を容易にします」Analog Devices、2020年11月
6 「ADC/DACに関する用語集」Maxim Integrated、2002年7月
7 The Data Conversion Handbook(データ変換に関するハンドブック)、Analog Devices、2005年
8 「機能的絶縁によるグラウンド・ループの解消でデータ伝送エラーを抑制」Analog Devices、2011年12月
9 Van Yang、Songtao Mu、Derrick Hartmann「PLC/DCS用アナログ入力モジュールのチャンネル間絶縁、高密度化の壁を打ち破る」Analog Dialogue、Vol. 50、No. 12、2016年12月