RFアンプの非線形シミュレーション、 Keysightの「Genesys」と 「SystemVue」を活用

はじめに

RF回路の線形シミュレーションと非線形シミュレーションは、昔から異なる領域に属するものでした。従来、RF装置の設計者は、カスケード小信号のゲイン/損失のシミュレーションにおいて、広く利用可能なSパラメータのデバイス・モデルを使用してきました。より難易度が高いのは、非線形シミュレーションの方だと考えられています。広く使用されているRFシミュレータにおいては、3次インターセプト・ポイント(IP3:3rd Order Intercept Point)、1dB利得圧縮点(P1dB:1dB Compression Point)、ノイズなどについてデジタル形式のデータを使用できず、周波数の変化を考慮したモデル構造が慣習的に使われてこなかったからです。この問題について、RF回路の設計者は、カスケード・ノイズや歪みの計算を実行するためのスプレッドシートを自前で用意するといった方法で対処してきました。しかし、システム・レベルの特性をスプレッドシートでシミュレーションするというのは現実的ではありません。そうした特性の例としては、エラー・ベクトル振幅(EVM:Error Vector Magnitude)や隣接チャンネル漏洩電力比(ACLR:Adjacent Channel Leakage Ratio)が挙げられます。これらは、変調信号を伝達するシグナル・チェーンにおいて、非常に重要な意味を持ちます。

表1. Sys-Parameterの一般的なデータセット
ADPA7002AEHZ
テストの条件:VD=5V、ID=600mA、[温度]=25°C
周波数〔MHz〕 ゲイン〔dB〕 ノイズ指数〔dB〕 OP1dB〔dBm〕 RISO〔dB〕 OIP3〔dBm〕 S11m〔dB20〕 S11a〔°〕 S22m〔dB20〕 S22a〔°〕
20,000 16.95 8.74 26.56 –67.721 36.44 –7.75 173.729 –11.557 147.426
21,000 17.68 8.24 26.91 –73.233 36.76 –8.517 80.526 –11.122 62.568
21,500 17.93 7.9 27.03 –68.951 36.88 –9.589 34.318 –11.311 22.785
22,000 17.93 7.36 27.17 –61.943 37.15 –10.697 –10.322 –11.509 –19.276
23,000 17.65 6.99 27.52 –59.98 37.96 –12.651 –103.636 –11.98 –97.33
23,500 17.56 6.81 27.74 –61.879 38.41 –14.063 –151.565 –12.827 –134.022
24,000 17.47 6.63 27.96 –80.139 38.73 –15.938 165.692 –12.945 –168.222
24,500 17.37 6.43 28.34 –58.564 38.86 –16.997 121.508 –13.498 148.481
25,000 17.29 6.21 28.76 –61.205 38.91 –17.923 62.549 –15.611 113.253
25,500 17.21 6.09 29.13 –78.557 38.99 –19.426 –7.015 –17.18 69.575
26,000 17.24 5.9 29.43 –57.547 39.12 –18.303 –66.409 –17.852 6.777
26,500 17.15 5.83 29.58 –52.009 39.13 –15.27 –111.709 –17.11 –77.28
27,000 17.18 5.77 29.67 –46.65 39.19 –12.005 –156.238 –14.802 –149.404
27,500 17.11 5.79 29.75 –46.267 39.31 –10.127 156.189 –13.119 156.549
28,000 17.06 5.68 29.81 –47.084 39.38 –9.77 110.867 –11.898 106.852
29,000 17.15 5.49 30.03 –44.2 39.84 –14.726 26.262 –12.296 20.551
30,000 17.09 5.53 30.07 –49.031 40.1 –19.255 –50.641 –10.565 –71.449

本稿では、Sパラメータの線形データと非線形データを組み合わせたRFアンプのモデル構造について説明します。非線形データとしては、ノイズ指数、IP3、P1dB、PSAT(飽和ポイント)などを扱います。また、システム・レベルのシミュレーションの結果と実測結果を比較することで、どれだけ正確にモデリングできているのか評価します。

Sパラメータ

Sパラメータは、極めて広範に使用されているRFシミュレーション用のモデルです。標準化されたデータセットにより、各周波数における入力反射損失、ゲイン、逆方向アイソレーション、出力反射損失の値をベクトル形式で表現します。一般に、各データは信号の圧縮ポイントから十分に離れた駆動信号を使用し、小信号を対象として収集されます。通常、Sパラメータは入出力のマッチングを図った回路の設計や安定性の評価を目的とするカスケード・ゲインのシミュレーションに使用されます。ただ、Sパラメータには、デバイスのノイズ、圧縮、歪みなどの特性に関する情報は含まれていません。

KeysightのSys-Parameter

本稿で取り上げるSys-Parameterは、Keysight Technologiesが 同社のRF回路/システム用シミュレータ「PathWave RF Synthesis(Genesys)」、「PathWave System Design(SystemVue)」で使用するために定義したデバイスのモデル構造です。表1に、Sys-Parameterのデータセットの例(一部抜粋)を示しました。これは、対応周波数が18GHz~44GHzで出力が0.5Wのパワー・アンプ「ADPA7002」の例です。ご覧のように、Sパラメータのデータに加えて、各周波数におけるノイズ、IP3、P1dBなどの値が含まれています。このデータセットは、RF信号のレベル、カスケード・ゲイン、逆方向アイソレーションのシミュレーションに必要な情報を提供します。また、IP3、P1dB、ノイズ指数のデータが含まれているので、RF電力の掃引やS/N比のシミュレーションにも対応できます。更に、EVMやACLRといった高次の信号特性を、デバイスの動作周波数の範囲でシミュレーションすることが可能です。

アナログ・デバイセズは、多様なRFアンプ製品やミキサー製品を対象としたSys-Parameterのライブラリの管理/ダウンロード提供を行っています。また、それらのデータは、KeysightのGenesysとSystemVueにもバンドルされています。図1に、Genesysの実行画面を示しました。アナログ・デバイセズが提供するSys-Parameterのライブラリには、「Part Selector」を使うことで簡単にアクセスできます。各製品のデバイス・モデルは、表1に示したデータセットと、モデルの「Properties」ウィンドウに含まれる追加情報で構成されます。その追加情報には、電源に関する情報や、OP1dBに関連するPSATとOIP2のデフォルトのオフセット情報が含まれています。

図1. Genesysの実行画面。標準的なSys-Parameterのモデルが表示されます。
図1. Genesysの実行画面。標準的なSys-Parameterのモデルが表示されます。

Sys-Parameterのモデルの精度

続いて、Sys-Parameterのモデルの精度を評価するために、一連のシミュレーション結果と実測結果を比較してみます。最初に、図2をご覧ください。これらは、10MHz~10GHzの周波数に対応するRFゲイン・ブロック「HMC788A」のシミュレーション結果と実測結果です。10GHzにおいて電力掃引を実施することで取得しました。2つの結果は非常に似ていることがわかります。シミュレーションでは、デバイスのゲインとOP1dBのデータに加えて、PSAT_Deltaの値も使用しました。この例の場合、その値は2dBです。これにより、PSATの値はOP1dBの値よりも2dB高くなります。これは、GaAsベースのRFアンプにおける標準的なデフォルト値に相当します。

図2. GaAsベースのRFアンプのシミュレーション結果と実測結果
図2. GaAsベースのRFアンプのシミュレーション結果と実測結果
図3. AM-AM歪みとAM-PM歪みのシミュレーション結果と実測結果
図3. AM-AM歪みとAM-PM歪みのシミュレーション結果と実測結果
図4. GaNベースのRFアンプのシミュレーション結果と実測結果
図4. GaNベースのRFアンプのシミュレーション結果と実測結果

AM-AM歪みとAM-PM歪み

圧縮特性のシミュレーション結果を詳しく検討するために、AM-AM(Amplitude Modulation to Amplitude Modulation)歪みとAM-PM(Amplitude Modulation to Phase Modulation)歪みを確認してみましょう。図3に、GaAsベースのパワー・アンプ「HMC930A」のシミュレーション結果と実測結果を示しました。ご覧のように、AM-AM歪みのシミュレーション結果と実測結果はよく一致しています。しかし、シミュレーションでは、AM-PM歪みは全く発生しないという不正確な結果になっています。その原因としては、デバイス・モデルとデータセットに小信号の位相情報(S21)しか含まれていないことが挙げられます。このシミュレータでは、デバイス・モデルのOP1dBとPSAT_Deltaのデータを使用することでAM-AM歪みを推定できますが、大信号のSパラメータのデータを使用することができませんでした。これについては、Xパラメータのような、より複雑なモデルを使用する方が適切だと言えます。Xパラメータのモデルには、レベルに依存するSパラメータが組み込まれているからです。

GaNアンプの電力掃引のシミュレーション

図4に示したのは、10Wの出力に対応するGaNベースのRFアンプ「HMC1114LP5DE」のシミュレーション結果と実測結果です。いずれも、3.2GHzにおいて電力掃引を実行することで取得しました。GaNベースのRFアンプは、圧縮特性がGaAsベースのデバイスよりもはるかにソフトになる傾向があります。そのため、PSAT_Deltaによる調整が必要です。PSAT_Deltaは、P1dBとPSATの差です。この例では、実測結果に基づいてその差を7dBに設定しています。値が大きいのでシミュレータから警告が発せられるケースもあり得ますが、この例では正しくシミュレーションを実行できました。その結果は実測結果とかなりよく一致しています。

ACLRのシミュレーション

CW(連続信号)のシミュレーションや実測から変調信号の振る舞いへと視点を移すと、Sys-Parameterのデータセットの価値が更に顕著になります。デバイスのゲイン、圧縮、IP3、ノイズ指数に関する情報は、製品のデータシートからすぐに入手することができます。しかし、汎用製品のデータシートに変調信号の性能を示すグラフが記載されていることはまずありません。また、シミュレーションや実測を行わずにEVMやACLRの性能を予測するのは困難です。

図5は、出力が0.25Wのドライバ・アンプ「ADL5320」のACLRをシミュレーションした結果です。2140MHzにおいて電力掃引を行い、5MHz幅のキャリア(搬送波)によって駆動しました。シミュレーション用のキャリアは11個の等間隔のサブキャリアから成り、ACLRはキャリアから5MHzのオフセット位置で取得しました。

図5. ACLRのシミュレーション結果
図5. ACLRのシミュレーション結果

この結果を見ると、ACLRは入力電力が-15dBmの条件で最適値に達しています。入力電力がそれよりも小さい領域では、そのdB値に比例してACLRのdB値が悪化していきます。この部分を支配しているのは、データシートに記載されたノイズ指数のデータです。入力電力が-15dBmよりも大きい領域では、デバイスのIP3と密な相関を持つ形でACLRが悪化します。このシミュレーションは、(電力が小さい場合の)ノイズ指数のデータと(電力が大きい場合の)IP3のデータの両方に基づいています。そのため、このような結果を得ることができます。広い電力範囲において、ACLRの掃引結果が正確に得られていることに注目してください。

図5には、水色の曲線によって実測結果も示しています。それを見ると、入力電力が-15dBmという条件において、シミュレーション結果と同等レベルの最適値には達していません。これは測定用の設定の制約によるものですが、入力電力が大きくなるほど、ACLRの実測値は急激に悪化していきます。デバイスのOIP3が入出力の電力レベルに応じて少し低下するからです(OIP3は変化しないのが理想です)。デバイス・モデルに含まれるIP3のデータは、単一のデータセットとして存在しており、電力レベルに応じて変化することはありません。これは、小信号に対するIP3だと見なすことができます。それに対し、Xパラメータでは、レベルの変化に対応するより複雑なモデルを使用できます。Xパラメータを使えば、より正確なシミュレーション結果が得られる可能性があります。

EVMのシミュレーション

Sys-Parameterのモデルを使用すれば、EVMのシミュレーションも実施可能です。図6に示したシミュレーション結果と実測結果は、RF電力レベルとEVMの関係を表しています。1MSPS、16QAMのキャリアを入力信号とし、対応周波数が50MHz~4GHzのゲイン・ブロック「ADL5602」を駆動しました。電力レベルが低い場合にも高い場合にも、シミュレーション結果と実測結果には高い相関があることがわかります。

温度に対するシミュレーション

アナログ・デバイセズがライブラリとして提供するSys-Parameterのデフォルトのデータセットには、周辺温度に対するデータしか含まれていません。ただ、温度に対するデータセットにデータを追加することで、モデルを拡張することは可能です。図7に、対応周波数が18GHz~44GHz、出力が1Wのパワー・アンプ「ADPA7007」のデータセットを示しました。このデータセットには、-55°C、25°C、85°Cのタブが用意されており、それぞれにゲイン、ノイズ、歪みなどのデータが記述されています。図7に示したように、GenesysとSystemVueのシミュレータは、これら3つのデータポイントを使用して他の温度における補間データを生成します。

ADSによるシミュレーション

Keysightは、ノイズ、歪み、圧縮のシミュレーションに対応する「Advanced Design System(ADS)」を提供しています。Sys-Parameterのデータセットは、KeysightのGenesysとSystemVueに由来するものですが、ADSには対応していません。ただ、ADSが備えるAmplifier2のモデルを使えば、Sys-Parameterのデータセットをインポートすることが可能です。Amplifier2はADSのネイティブなモデルであり、Sys-Parameterのモデルに似た機能を提供します。図8に、Amplifier2のモデルを使用し、ADS上で作成した回路図を示しました。この回路図には、DAC1とDAC2という2つのデータ・アクセス用コンポーネントが含まれています。これらは、SysParameterのデータをAmplifier2のモデルに関連づけるために使用しています。ノイズ指数、OIP3、OP1dBのデータはテキスト・ファイルに格納され、DAC1によってAmplifier2のモデルに関連づけられます。また、DAC2は、SパラメータのデータをAmplifier2のモデルに関連づける役割を果たします。それによって生成されるAmplifier2のモデルを使用することで、ここまでに示したシミュレーションをADS上で実行することが可能になります。

なお、この方法を利用する場合には注意すべきことがあります。RF電力を掃引する際、Amplifier2のモデルが圧縮ポイントの近くまで駆動されると、シミュレーション結果は実測結果とはかなり異なるものになる傾向があります。また、ノイズ、歪み、圧縮のデータと共にSパラメータのデータを使用するAmplifier2のモデルを作成すれば、それは入出力の反射損失(S11とS22)が良好なデバイスに最も適したものになります。アナログ・デバイセズのほとんどのRFアンプは、外付けのマッチング用部品を必要としません。作成したモデルは、そうした製品によく適合するということです。なお、DAC1にスカラーのゲインを加え、Sパラメータのデータを省く(DAC2を省く)ことにより、よりシンプルなAmplifier2のモデルを作成することができます。

図6. EVMのシミュレーション結果と実測結果。広い帯域に対応するゲイン・ブロックに対して電力掃引を行うことによりEVMを取得しました。
図6. EVMのシミュレーション結果と実測結果。広い帯域に対応するゲイン・ブロックに対して電力掃引を行うことによりEVMを取得しました。
図7. ADPA7007のデータセット。ゲイン/ノイズ指数と温度の関係をシミュレーションした結果も示しています。
図7. ADPA7007のデータセット。ゲイン/ノイズ指数と温度の関係をシミュレーションした結果も示しています。

まとめ

Sys-Parameterのデータセットは、RFアンプ用の便利で新しいシミュレーション・ツールです。ノイズ、歪み、圧縮がモデル化されていないSパラメータと比べてより強力なものだと言えます。Xパラメータを利用すれば、AM-PM歪みやACLRといった、レベルに依存する動作のモデルを改善できますが、Sys-Parameterはそこまで複雑なものではありません。Sys-Parameterのモデルは、シンプルな表形式の構造を採用しています。Sパラメータのデータにノイズ指数、OIP3、OP1dBのデータを組み合わせることで、簡単にモデルを作成することが可能です。本稿では、SysParameterのモデルを使用したシミュレーションの結果と実測結果を比較しました。両者は非常によく一致することをご理解いただけたでしょう。また、Sys-ParameterのモデルはADSでは使用できません。しかし、Amplifier2のモデルを使用する比較的簡単な手順によって、そのデータセットをADS上で利用できるようになります。

アナログ・デバイセズは、Sys-Parameterのモデルを提供するライブラリの管理/拡張に努めています。新しいモデルをライブラリに追加するたびに、温度に対するシミュレーションのサポートも追加しています。KeysightのGenesys/SystemVue向けの最新ライブラリは、analog.com/sys-parametersにアクセスすることによりダウンロードすることが可能です。

図8. Amplifier2のモデルを使用した回路図。ADSにおいて、Sys-Parameterのデータを使用することが可能になります。
図8. Amplifier2のモデルを使用した回路図。ADSにおいて、Sys-Parameterのデータを使用することが可能になります。

参考資料

PathWave System Design(PathWaveによるシステム設計)(SystemVue)、Keysight Technologies、2020年

PathWave RF Synthesis(PathWaveによるRF回路シンセシス)(Genesys)、Keysight Technologies、2020年

著者

Eamon Nash

Eamon Nash

Eamon Nashは、アナログ・デバイセズのプロダクト・アプリケーション・ディレクタです。様々な現場や工場で、ミックスド・シグナル製品、高精度製品、RF製品に関する業務に携わってきました。現在は、衛星通信/レーダーなどで使用されるRFアンプやビームフォーマ製品に注力しています。アイルランドのリムリック大学で電子工学の学士号を取得。5件の特許を保有しています。