超低消費電力で柔軟性の高い心電計向けフロントエンドIC、IoTエッジでの信号処理など別の用途でも威力を発揮

電力効率に優れるシグナル・コンディショニング用のIC が必要になった場合、いくつもの製品のデータシートを参照することになるでしょう。その結果、電源電流が 100 μA 未満の製品はほとんど見当たらないことに気づくはずです。それに加えて、パッケージも小さい製品となると、市場にはほとんど出回っていないというのが現実です。現在、多くのワイヤレス・センサー・ネットワークでは、電池の寿命を延伸させることと基板面積を小さく抑えることが非常に重要な要件となっています。そうした中で、そもそも選択肢が存在しないという状況に直面するわけですから、システム設計者は苛立ちを禁じ得ないはずです。実際、IoT(Internet of Things)のエッジ・ノードで使用するために低消費電力の製品を検索したとしても、アナログ・フロントエンド IC ですら見当たらないかもしれません。ここで言うアナログ・フロントエンド IC とは、ウェアラブル型の心拍計などで使用されるのと同じような IC のことです。仮に候補が見つかったとしても、特定の用途にあまりにも特化していて、採用には至らないことが少なくないはずです。しかし、アナログ・デバイセズが提供する心電計(ECG)向けフロントエンド IC「AD8233」であれば、IoT のエッジ・ノードをはじめとする他の用途でも有力な候補になり得るはずです。なぜなら、同 IC の電源電流はわずか 50 μA に抑えられていることに加え、2 mm × 1.7mm の WLCSP という小型のパッケージを採用しているからです。AD8233 の基本的な構成要素は1つの計装アンプ(IA: Instrumentation Amplifier)と複数のオペアンプです。また、超低消費電力の信号処理用回路として複数種の形態に構成可能な柔軟性の高いアーキテクチャを備えています。そのため、ヘルスケアやフィットネス以外の分野でも利用できます。

図1 に、シングルリードの ECG 向けフロントエンドIC である AD8233 のブロック図を簡略化して示しました。ご覧のように、この IC は 1 つの IA を内蔵しています。この IA 単体の伝達関数は以下のように表されます。

Equation 1

このフロントエンド IC の場合、ゲインは 100 で固定です。IA のリファレンスは、ハイパス・アンプ(HPA:High-pass Amplifier)が駆動します。HPA の入力にはIAOUT をフィードバックしています。また、この部分には、外付けのコンデンサと抵抗を使って積分器を構成しています。そのクロスオーバー周波数は、外付けの抵抗とコンデンサの値で決まります。この HPA により、HPDRIVE ピンの電圧は、HPSENSE ピンと IAOUT をリファレンス電圧に維持するように駆動されます。この回路は 1 次のハイパス・フィルタとして機能します。そのカットオフ周波数は以下の式で求められます。

Equation 2

高い診断の質が求められる ECG の場合、一般にカットオフ周波数は 0.05 Hz に設定されます。ただ、フィットネスの用途のように心拍数を検出するだけでよいのなら 7 Hz で十分でしょう。このハイパス・フィルタにより、ECG における高周波の信号は増幅されます(1 mV~ 2 mV)。同時に、(電極と皮膚の接触に起因する)大きな DC ハーフセル電位を除去し、心拍数の測定に伴う低周波のベースラインの揺らぎを抑えるという課題が解決されます。また、IA の入力部で DC ハーフセル電圧(最大 300 mV)が除去される構造になっているため、高いゲインを実現できます。さらに、IA のオフセットとオフセット・ドリフトを除去する効果も得られます。リファレンスを基準として HPDRIVE ピンを観測すると、入力オフセットの反転値を自動的に補正した値が確認できます。

Figure 1
図1 . シングルリードの ECG 向けフロントエンド IC のブロック図。
内部回路を簡略化して示しています。

この IC は、元々は ECG アプリケーションをターゲットとして設計されたものです。ただ、消費電力が少なくサイズが小さいため、低周波の小信号を増幅したい任意のアプリケーションで利用できる可能性があります。その例としては、電磁式の流量計といった用途が挙げられます。DC 測定が必要な場合にも、わずかに変更を加えるだけで対応できます。図 2 に示すのは、ゲインが 100に固定された DC 結合型の IA です。図 1 から外付けの抵抗とコンデンサを取り除き、HPSENSE とHPDRIVEの間を短絡して HPA をユニティゲイン・バッファとして使用しています。このような変更を加えても、IA のリファレンスにはリファレンス電圧が設定されます。なお、この使い方では、IA のオフセット電圧について考慮する必要があります。

Figure 2
図2 . ゲインが 10 0 に固定された DC 結合型の I A

ゲインが 100 では高すぎる、または 1 kHzの帯域幅では狭すぎるという場合には、図 3 のように回路を変更することで対処できます。この方法では、HPA を反転アンプとして使用します。IAOUT を入力にフィードバックしており、ゲインは -R2/R1 となります。伝達関数は、簡素化すると次のようになります。

Equation 3

HPA を減衰器として構成すれば(R2 < R1とする)、ゲインを 100 以下に設定できます。差動入力が 300 mVまでに制限されていることと、回路の安定性を保たなければならないことを考慮すると、ゲインは 10 未満に設定するべきではありません。表 1 に、適切なゲイン設定の例をまとめます。

表1. DC 結合型 IA のゲインと帯域幅の設定例

R2 R1 ゲイン 帯域幅
ショート オープン 100
1.2 kHz
10 kΩ 1 MΩ
50 2.4 kHz
40 kΩ
1 MΩ

20 6.5 kHz
90 kΩ 1 MΩ
10 15.2 kHz

Figure 3
図3 . ゲインと帯域幅を調整可能な DC 結合型 I A

DC 精度が重要である場合、IA のゲインは 100 のままで、図 4 に示すように回路を変更するとよいでしょう。これにより、IA ならびに接続される任意のセンサーのオフセットを補償することができます。このような変更を加えた場合、伝達関数は以下のようになります。

Equation 4

上の式において、VTUNE はオフセット電圧の補正に使用するソース電圧です。このソース電圧としては、例えばマイクロコントローラからの PWM 信号にフィルタをかけた電圧を使用することができます。あるいは、消費電力の少ない D/A コンバータ(DAC)で直接駆動することも可能です。この方法でも、HPA はゲインが -R2/R1の反転アンプとして構成されています。これは、オフセットの補正範囲や分解能をさらに調整するために使用できます。VIN を 2 つの成分に分割し、上の式に代入すると、伝達関数は次のようになります。

Equation 5

トータルのオフセットは、センサーを接続した状態でVSIGNAL を印加しないという条件下で補償できます。リファレンスを基準にして IAOUT を測定し、電圧が十分にゼロに近づくまで(R2/R1)VTUNE を調整するだけです。

Figure 4
図4 . オフセット補償機能付きの DC 結合型 IA

ここまで、ECG 向けのフロントエンド・ソリューションである AD8233 の内部回路を簡略化して説明を進めてきました。ただ、これを実際に低消費電力の IoT 設計に適用する場合、その他の部分についても理解しておく必要があります。そこで、図5 には AD8233 のより詳細な回路を示しました。この図のとおり、オペアンプ A1 の各端子には何も接続されていません。通常、この A1 は、IA の後段にゲイン/フィルタを追加したい場合に使用されます。このオペアンプは他のセンサー・アプリケーションでも有効に活用できる可能性があります。また、オペアンプ A2 は、ECG ソリューションにおいては右脚駆動(RLD: Right Leg Drive) アンプとして使用されます。IA の入力コモン・モード電圧をバッファした後の値が A2 の反転入力に現れます(以下参照)。

Equation 6

通常、A2 は RLDFB ピンと RLD ピンの間にコンデンサを配置して積分器として使用されます。RLD ピンによって 3 つ目の電極を駆動することにより、回路全体の CMRR が改善されます。なお、このアンプが不要な場合(有用な回路を構成できない場合)、デジタル入力ピンである RLDSDN を グラウンドに接続し、RLD ピンと RLDFB ピンはフローティングとして、このアンプをパワーダウンの状態にしておくとよいでしょう。

Figure 5
図5. ECG 向けのフロントエンド IC 。
消費電力の少ないシグナル・コンディショニング機能を統合しています。

3 つ目のオペアンプ A3 は、REFOUT によってオンチップ/オフチップのリファレンス電圧を駆動する内蔵リファレンス・バッファです。通常、REFIN は +Vs/2 に設定されます。単電源の +Vs としては 1.7 V ~ 3.5 V を使用できます。図 6 に示すように、10 MΩ の抵抗を 2本使って +Vs と GND の間に分圧器を構成すれば、低消費電力のソリューションを簡単に実現できます。また、REFIN と GND の間にコンデンサを追加することにより、ノイズが低減されます。なお、REFINA/D コンバータ(ADC)のリファレンスで駆動することができます。また、REFIN は IA の出力をレベルシフトするために使用することも可能です。

Figure 6
図 6. 低消費電力のリファレンス

デジタル入力ピンである FR は、高速回復機能の制御に使用します。この機能は、図 1 のような AC 結合回路を使用する場合に有用です。IC を起動する際や、入力にDC ステップが生じる場合には、外付けのコンデンサを充電するための時間がかかります。このような場合、積分器がセトリングするまで IA は飽和します。高速回復機能はこの状態を自動的に検出し、内蔵スイッチを制御することにより、小さな内蔵抵抗を、一定の時間だけ外付けの抵抗に並列に接続します。それにより、セトリング時間が大幅に短縮されます。SW ピンは、2 つ目の外付けハイパス・フィルタを、必要に応じて高速にセトリングするために使用されます。

デジタル入力ピンであるAC/DCは、ECG アプリケーションで使われるリード・オフ検出方法を決定するために使用します。また、このピンは、入力ピンとセンサーの断線検出にも利用できます。正しく構成すれば、デジタル出力ピンである LOD によって、IA のいずれかの入力ピンとセンサーの間の断線を把握することができます。

AD8233 は小型な製品であり、動作時の消費電力が少なく抑えられています。加えて、電源電流を 1 μA 未満に削減するためのシャットダウン用のピン(SDN)を備えています。これは、センサーによる測定が頻繁に行われるわけではない場合に便利な機能であり、電池の寿命を大幅に延伸させることができます。なお、断線の検出はシャットダウン・モードでも機能し続けます。

AD8233 の全容を把握したところで、続いては別のセンサー・アプリケーションに使用する場合の構成例を紹介します。表 2 に、ECG とは異なる用途で利用する場合の基本的な設定例を示しました。

表2. AD8233 を ECG 以外のアプリケーションで使用する場合の基本的な設定例

ピン 設定
+Vs と GND の電位差
電池またはレギュレータからの電圧 (1.7 V ~ 3.5 V)
REFIN
+Vs/2 に設定(図 6 を参照)
+IN, -IN
センサーに接続(公称 Vcm: +Vs/2)
HPSENSE, HPDRIVE, IAOUT 図 1 ~ 4 を参照
RLD, RLDFB, SW, LOD フローティング
FR, AC/DC, RLDSDN GND に接続
SDN アクティブ時は +Vs に接続、
シャットダウン時には GND に接続
OPAMP+, OPAMP-, OUT 柔軟に使用可能(IA の後段に
ゲイン/フィルタを追加するなど)
REFOUT A1、ADC、マイクロコントローラ用の
外部リファレンス

AD8233 を利用可能な IoT のエッジ・ノード・アプリケーション

図4 では、ゲインが 100 に固定でオフセット補正機能を備える回路を示しました。この構成が役に立つ良い例が、ホイートストン・ブリッジをベースとする圧力センサー回路です。図7 に示すように、同ブリッジによって、入力コモン・モード電圧を +Vs/2 に設定します。測定範囲と必要な電流量にもよりますが、ブリッジは REFOUT によって駆動するか、未使用のオペアンプで駆動します。そうすれば、シャットダウン時にはブリッジでも無駄に電流を消費しないようにすることができます。図7 で使用している「AD5601」は、低消費電力(電源電圧が 3 V の場合の消費電流が 60 μA)の DAC です。これもシャットダウン用のピンを備えており、SC70 という小型のパッケージを採用しています。これらの特徴から、ブリッジと IAのオフセットを補正する用途に最適です。オペアンプ A1は、プレースホルダー・バッファとして自由に使用できます。例えば、ゲイン段を追加したり、ノイズや 60 Hzの周波数成分を除去するフィルタを構成したりすることが可能です。図7 の例では、このアンプの出力によって「ADuCM3029」が内蔵する ADC を駆動しています。ADuCM3029 は、「ARM®Cortex®-M3」をベースとするマイクロコントローラです。消費電力が極めて少なく、WLCSP という小型のパッケージでも提供されています。AD8233 が備えるシャットダウン用のピンはADuCM3029のGPIO を使って制御できます。

Figure 7
図7. 低消費電力の圧力センサー回路

図4 の回路を利用できるもう 1 つの例として、熱電対による温度測定のアプリケーションが挙げられます。K タイプの熱電対は、広い温度範囲に対してほぼ線形の特性を示します。ゼーベック係数は室温(25℃)で約 41 μV/℃です。基準接点または冷接点が補償されていれば、IA は測温接点で得た値を増幅して出力(約 4.1 mV/℃)します(より正確な値については、NIST が提供している表を参照してください)。熱電対は、測温接点と基準接点の差を出力するので、基準接点のドリフトを補正する必要があります。

まず、予想される基準接点の温度範囲を定めます。続いて、NIST の表を使用し、予想されるドリフトを求めます。例えば、以下のような具合です。

Equation 7

正確な温度センサーを基準接点に配置し、結果を VTUNEにフィードバックして -R2/R1 で調整することにより、正確にドリフトを補正することができます。温度センサーのドリフトは必ず負の値にすることに注意してください。あるいは、IA の出力で正のドリフトが得られるように IA の入力を入れ替えます。オフセットとドリフトの補正処理を分離するには、サミング・ノードで回路を分割します。その場合、オフセットは -R2/R3 を介してVTUNE2 で固定になります。変更後の伝達関数は以下のようになります。

Equation 8

変更後の回路を図8 に示しました。入力コモン・モード電圧は、+INに接続された 10 MΩ のプルアップ抵抗と -IN に接続された 10 MΩ のプルダウン抵抗によって+Vs/2 に設定されます。この構成では、断線時に +IN が+Vs に引き上げられるため、AD8233 のリード・オフ検出機能を使用することができます。検出は LOD ピンで行います。AD8233 は RFI(無線周波数干渉)フィルタも内蔵しています。そのため、熱電対からの高周波成分にも対応可能です。入力に直列に抵抗を追加することによって、カットオフ周波数を下げることができます。

 

Figure 8
図8 . 基準接点の補償機能と断線検出機能を備える熱電対回路

まとめ

本稿で説明したように、AD8233 は、単なる ECG 向けフロントエンドにはとどまらない機能を備えています。同 IC は、動作時の消費電流が少なく(50 μA)、2 mm× 1.7 mm の WLCSP という小型のパッケージを採用しています。また、シャットダウン用のピンを備えるとともに、柔軟な構成が可能であるといったいくつかの特徴を併せ持ちます。そのため、これを利用すれば、小型かつ軽量で電池の寿命を延伸可能な設計が行えます。IoT やワイヤレス・センサー・ネットワークといった消費電力の低減を求められる設計に携わる際には、ぜひ AD8233を候補の1つとして取り上げてください。そのうえで、この IC を利用することによってどのような回路を実装できるか検討してみてください。システムの電池寿命は、その検討を行うか否かにかかっているかもしれません。

参考資料

著者

David Plourde

David Plourde

David Plourde は、アナログ・デバイセズでアナログICの設計を担当する技術者です。米マサチューセッツ州ウィルミントンに拠点を置く Linear and Precision Technology グループに所属しています。主に、ヘルスケア分野を対象とする低消費電力の設計やシステム・レベルのソリューションなどに携わっています。ウースター工科大学で学士号と修士号を取得後、製品/テスト技術者として2006年に入社しました。