質問:
10BASE-T1Lに対応するイーサネットでは、ケーブルの種類によってどのような性能の差が出るのでしょう? また、ケーブルの特性のうち、どれが最長伝送距離に最も大きな影響を及ぼすのでしょうか?

回答:
イーサネットの最長伝送距離やリンクの性能は、ケーブルの特性に依存します。例えば、挿入損失(信号の減衰)やリターン・ロス(信号の反射)など、ケーブルの種類によって異なる特性が影響を及ぼします。アナログ・デバイセズは、10BASE-T1Lに対応する様々なソリューションを提供しています。それらは、様々な業界で使われている旧来型のセンサーの通信機能をデジタル化し、イーサネットへのシームレスな接続を促進するように設計されています。そのようなことを実現できるのは、10BASE-T1L自体が様々なケーブルの種類に対応しているからです。実際、10BASE-T1Lはケーブルの仕様について高い柔軟性を提供します。例えば、旧来の通信システムや既存の設備で使用されている既存のケーブルの再利用も可能です。このことから、10BASE-T1Lは他の技術と比べて大きなメリットをもたらすものだと言えます。
はじめに
10BASE-T1LとAPLの関係
10BASE-T1Lは、IEEE 802.3cg(IEEE 802.3cg-2019)で定められた物理層(PHY)の規格です。この規格に準拠すれば、シングル・ツイスト・ペア・ケーブルを使用してイーサネット接続を実現することが可能になります。つまり、10BASE-T1LはSPE(Single Pair Ethernet)の規格です。本稿では触れませんが、IEEE 802.3cgには10BASE-T1Sというもう1つの規格が含まれています。ただ、本稿でIEEE 802.3cgという用語を使用した場合、基本的には10BASE-T1Lのことを指します。10BASE-T1Sとは別に、Ethernet-APL(Advanced Physical Layer)という規格が存在します。両者には関連性がありますが、これらは互換的に使用すべきではない2つの異なる規格です。上述したように、10BASE-T1Lの規格は、アプリケーションに依存することなくシングルツイスト・ペア・ケーブルを使って長距離のイーサネット通信を行うための物理層の仕様を定めています。一方、Ethernet-APL(以下、APL)の規格では、IEEE 802.3cgの上位に追加する形で仕様が定められています。その目的は、本質的に安全(本質安全防爆)な環境で運用されるプロセス制御アプリケーションにおいて、10BASE-T1Lと同じ物理層を使用できるようにすることです。つまり、APLに対応するすべてのデバイスは10BASE-T1Lに準拠しています(但し、対象になるのはデータ層のみでデータ・ラインを介した給電は含まれない)。しかし、10BASE-T1Lに準拠しているすべてのデバイスがAPLにも準拠しているわけではありません。
APLは、データ層の規格とシステムの定義に関する規格で構成されています。その中で、電磁環境適合性(EMC)の性能、シールド・ケーブルの接続、ネットワーク・トポロジといった側面を網羅しています。例えば、APLでは、同じネットワーク内に共存するデータ・リンクとして、スパーとトランクの2種類が定義されています(図1)。スパーのリンクはフィールド・デバイスに直接接続されるものです。そのケーブル長は200mまでに抑えなければなりません。また、フィールド・デバイスを対象として本質的に安全な環境を実現するために、伝送レベルは1.0Vp-pと定められています。一方のトランクは、フィールド・スイッチにリンクするか、最も近い上流のパワー・スイッチに接続されます。こちらは、最長1000mのケーブル長、2.4Vp-pの伝送レベルに対応します。
図1( 右)に示したのは、ビル・オートメーションなど、10BASE-T1Lを採用したアプリケーションの構成例です。10BASE-T1Lに準拠するアプリケーションは、APLに準拠する必要はありません。したがって、スパーとトランクの概念も使われません。実際、10BASE-T1Lはスター型、ライン型、リング型のネットワーク・トポロジに対応します。また、それらを組み合わせても構いません。伝送レベルは、センサーやネットワーク・スイッチの配置場所とは関係なく、電力に関する制限やノイズ耐性に基づいて選択できます。つまり、リンクの位置に関係なく2.4Vp-pの伝送レベルを使用できるので、ケーブルを選択する際の柔軟性が高まります。また、ケーブルではより大きな信号の損失を許容できるようになります。その結果、ケーブルの公称インピーダンスに関する制限が緩和されます。
規格で定められたケーブルの特性
IEEE 802.3cgでは、サブ条項146.7において、同規格に準拠するためにケーブルが満たさなければならないリンク・セグメントの特性を規定しています。具体的には、挿入損失、リターン・ロス、リンク遅延、差動信号から生成されるコモン・モード信号(シールドのないケーブルの場合)、結合減衰量(シールド・ケーブルの場合)の規格値が定められています。また、APLでは本質安全防爆に対応する構造が必要なアプリケーション向けの規格が定められています。それらは、10BASE-T1Lの物理層の動作に関して追加される形で規定/定義されています。具体的には、ケーブルの分類、スパーとトランクにおける最大ケーブル長、シールドなどのケーブル配線に関する規格が含まれています。なお、爆発性ゾーンについては、ゾーン0は爆発性が高い、ゾーン1は火災/爆発が発生する可能性が高い、ゾーン2は爆発/火災が発生するかもしれないがその可能性は低い、という分類が適用されています。
挿入損失
ケーブルの挿入損失は、ケーブルの一端から送信された信号の電力と、もう一端で受信された信号の電力の比として定義されます。その値はdB単位で測定され、信号が伝送ライン(ケーブル)を通過する際にどれだけ減衰するのかが明らかになります。この損失(減衰)は、ケーブルが長くなるほど、また信号の周波数が高くなるほど増大します。IEEE 802.3cgによれば、挿入損失の最大許容レベルは伝送レベルに応じて異なります。伝送レベルが2.4Vp-pの場合と1.0Vp-pの場合を比較すると、前者の方が許容レベルが高くなります。また、その許容レベルは、信号強度の違いやそれぞれの要件にも依存します。
IEEE 802.3cgで定められた規格
IEEE 802.3cgのサブ条項146.7.1.1では、2つの伝送レベルに対する規格値(特性曲線)を定めています。
まず、送信レベルが1.0Vp-pの場合の特性曲線は以下の式で表されます。
一方、送信レベルが2.4Vp-pの場合の式は以下のようになります。
上の2つの式において、fはMHz単位で表される周波数です。とり得る値の範囲は0.1MHz≦f≦20MHzとなります。図2は、伝送レベルがそれぞれ1.0Vp-p、2.4Vp-pの場合の挿入損失の規格値を表しています。
APLにおける分類
APLでは、ケーブルを4つのカテゴリに分類しています(表1)。そのカテゴリ分けの手段として、損入損失の規格も使われています。データ・リンクであるスパーまたはトランクで許容可能な最大リンク長も定められていますが、挿入損失の規格も満たさなければなりません。表1を見れば、ケーブルのカテゴリと、ケーブル長、挿入損失の関係を把握できます。この規格は、IEEE802.3cgで定められたケーブルの規格に対応する形で定められています。上述したように、IEEE 802.3cgでは伝送レベルがそれぞれ1.0Vp-p、2.4Vp-pの場合における挿入損失の規格値を定めています。それらの規格は、それぞれスパーとトランクの動作に関する要件と合致しています。スパーは、それに対応する挿入損失の規格値を順守して、1.0Vp-pで動作する必要があります。一方、トランクはより高い挿入損失の規格値を順守して2.4Vp-pで動作しなければなりません。
パラメータ | APLにおけるケーブルのカテゴリ | |||
I | II | III | IV | |
スパーのケーブルの最大長 | 50 | 100 | 150 | 200 |
トランクのケーブルの最大長 | 250 | 500 | 750 | 1000 |
スパーのケーブルの挿入損失 |
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トランクのケーブルの挿入損失 |
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表1に示した式(4)は、IEEE 802.3cgの規格を定める式(2)と同一です。それに対し、式(3)で決まる値は、式(1)で決まる値の半分以下になります。つまり、スパーに接続するケーブルに対しては、より保守的な規格値が設定されています。この点には注意が必要です。
表1について正しく理解できるようにするために、もう少し説明を加えることにしましょう。まず、特定の種類のケーブルがAPLのカテゴリIVに分類されるための条件について考えます。そのケーブルに求められる条件は、1000mのサンプルの挿入損失が式(4)で決まる閾値(特性曲線)を下回っていることです。そうでない場合、そのケーブルはカテゴリIVの基準を満たしていないということになります。また、あるケーブルがAPLのカテゴリIIIとして分類されるには、750mのサンプルにおける挿入損失が式(4)で決まる値を下回っていなければなりません。この基準は満たしていないものの、500mのサンプルが要件を満たしている場合、それはAPLのカテゴリIIに属するケーブルとして認められます。500mのサンプルが規格を満たしていなくても、250mのサンプルが式(4)で決まる閾値を満たしている場合、そのケーブルはAPLのカテゴリIに分類されます。これらの条件のいずれも満たしていない場合、そのケーブルはAPLに準拠していることにはなりません。
リターン・ロス
ケーブルの一端から信号を送信した場合、理想的にはその信号はもう一端の負荷によって完全に吸収されるはずです。しかし、現実のケーブルではそのようにはなりません。上述したように挿入損失によって信号が減衰するだけでなく、送信側の信号源に向かって一部のエネルギーが反射するからです。この反射は、トランスミッタとケーブルの間、またはケーブル自体のインピーダンスのミスマッチによって発生します。また、反射はどのポイントでも発生する可能性があります。特定のケーブルのリターン・ロスは、反射によって信号源に戻ってくる信号の大きさを定量化した値によって表現します。具体的には、送信信号と反射信号の比(dB単位の値)によって表されます。また挿入損失と同様に、リターン・ロスは周波数に応じて異なる値になります。
ここで、あるケーブルの品質が十分に高いと仮定しましょう。その場合、ケーブルのインピーダンスは全体にわたって一定であるはずです。そして、トランシーバーとの接続ポイントを除けばインピーダンスのミスマッチは最小限に抑えられます。但し、損傷や不適切な構造が原因で特定のケーブル・リンクの全長にわたって障害が生じている場合、上記のようにはなりません。本稿では、そのようなケースについてはこれ以上触れないことにします。
10BASE-T1Lの挿入損失の規格とは異なり、リターン・ロスの規格は伝送レベルには依存しません。このことは、適切に終端されたケーブルのリターン・ロスはその長さに依存しないという事実から直接導き出されます。ケーブルの長さが200mであっても500mであっても、製造プロセス、温度、湿度といった環境面の条件によって変化が生じない限り、リターン・ロスは一定のままです。
IEEE 802.3cgで定められた規格
IEEE 802.3cgでは、ケーブルが満たさなければならない最小のリターン・ロス(対周波数の特性曲線)を次の式によって規定しています。
ここで、fは周波数(単位はMHz)です。
APLの規格
APLでは、ケーブルが満たさなければならないリターン・ロスの最小値が規定されています。この規格は、トランシーバーの2つの伝送レベルには依存しないので、挿入損失の規格と比べてはるかに単純です。具体的には、以下の式で表されます。
ここで、fは周波数(単位はMHz)です。
APLでは、ケーブルのリターン・ロスについてIEEE 802.3cgよりも厳しい規格が定められています。具体的には、6dBのマージンが追加されています。この点には注意してください。図3は、10BASE-T1LとAPLで定められたリターン・ロスの規格についてまとめたものです。これを見ると、APLのリターン・ロスの規格を満たすケーブルは、すべて10BASE-T1Lのリターン・ロスの規格も満たすことがわかります。一方、10BASE-T1Lのリターン・ロスの規格を満たすケーブルのすべてがAPLのリターン・ロスの規格を満たすわけではないこともわかります。
最大リンク遅延
ここで言うリンク遅延とは、信号がケーブルの一端からもう一端に伝搬するまでにかかる時間のことです。その値はケーブルの構造に依存し、温度の変動の影響を受けることがあります。リンク遅延は、ケーブルの公称伝搬速度(NVP:Nominal Velocity of Propagation)の関数として表すことができます。すなわち、ケーブルを通過する信号の速度と光速の比として定義することが可能です。ケーブルのNVPは常に1.0未満であり、ほとんどのケーブルでは0.6~0.8といった値になります。ただ、NVPの値が0.5に近いケーブルも存在します。そのケーブルのリンク遅延は、特定のケーブル長に対してかなり大きいということになります。
IEEE 802.3cgでは、10BASE-T1Lにおける最大リンク遅延を規定しています。具体的には、NVPが0.6で長さが1589mのケーブルに対する固定値が定められています。以下に示すように、最大リンク遅延は8834ナノ秒となります。
モード変換と結合減衰量
通常の条件下では、挿入損失とリターン・ロスがケーブルの性能を決める主要なパラメータになります。しかし、産業分野では、大きな電磁干渉(EMI)が存在する環境に耐えられるようにシステムを構築しなければなりません。しかも、電磁干渉は様々な形で現れます。例えば、ケーブルに結合する固定周波数のトーン、散発的にしか発生しない高周波成分、エネルギーの大きいパルスなど、その種類は多岐にわたります。10BASE-T1LまたはAPLに対応する通信リンクは、あらゆる種類の電磁干渉に耐えられるものでなければなりません。それにより、データの損失を回避する必要があるということです。ところが、ほとんどの電磁干渉は外部の発生源に起因して生じます。そのため、長いシングルツイスト・ペア・ケーブルは主な結合メカニズムの1つになります。したがって、全体的なイミュニティ(Electromagnetic Immunity)を確保する上ではケーブルの特性が重要になります。
シールド・ケーブルの結合減衰量
IEEE 802.3cgでは、シールド・ケーブルにおける結合減衰量の最小値を規定しています。結合減衰量というのは、データを伝送するワイヤのペアに差動的に結合する信号の最大量に関連する指標です。シールド・ケーブルの場合、結合減衰量はシールドの品質や被覆率、ペアを構成するワイヤの対称性によって決まります。そのため、異なるシールドでは異なる応答が得られます。例えば、フォイル(箔)シールドとドレイン・ワイヤを備えるケーブルは、被覆率が90%の編組シールドを備えるケーブルとは異なる性能を示す可能性があります。
IEEE 802.3cgでは、電磁環境E1、E2、E3に設置されるシステムについて、図4に示すような規格が定められています。ここで、E1は、住宅、商業施設、軽工業向けのビルなどにデバイスが配備される場合の電磁環境に相当します。E2は、工業向けのその他のビルにデバイスが配備される場合に想定される電磁環境です。E3は、車両のバッテリから電力を得るデバイスが運用される場合の電磁環境に相当します。
シールドのないケーブルで、差動信号から生成されるコモン・モードの信号成分
シールドのないシングルツイスト・ペア・ケーブルの2つのワイヤが理想的な対称性を備えていると仮定します。その場合、両ワイヤには信号成分が等しく結合するはずです。つまり、それらの信号成分はコモン・モードの信号として振る舞います。その信号は、10BASE-T1Lの信号パスに配置されるMDI(Medium Dependent Interface)回路によって効果的にフィルタリングされるはずです。しかし、現実の2本のワイヤは完全に対称なわけではありません。そのため、コモン・モードの信号成分が伝送ラインに差動信号として現れる可能性があります。その信号の振幅が大きく、なおかつ10BASE-T1Lが対象とする帯域内(100kHz~20MHz)に存在する場合、自動ネゴシエーションのプロセスやデータの伝送処理が妨げられてしまうかもしれません。また、2本のワイヤの非対称性が原因となって、10BASE-T1Lの差動信号の成分がコモン・モードの信号成分に変換されるおそれもあります。その場合、ケーブルにおける損失が増大して性能が低下する可能性があります。
IEEE 802.3cgでは、上記の問題を軽減するための指標を採用しています。その指標は横方向変換損失(TCL:Transverse Conversion Loss)と呼ばれます。TCLは、ケーブルが使用される電磁環境に基づき、元の差動信号とコモン・モード信号に変換された成分の比を表します。図5は、電磁環境E1、E2に対するTCLの規格を示したものです。
ケーブル長に依存する特性
10BASE-T1Lでは、特定の長さのケーブルに関する特性は規定されていません。このことが原因となって、規格への準拠と最大伝送距離の関係に関する数々の疑問が生じることになります。例えば、カテゴリ5/カテゴリ6(Cat5/Cat6)のケーブルの場合、その長さが1000mであれば通常は10BASE-T1Lの規格に準拠することはできません。なぜなら、その挿入損失が式(1)、式(2)に基づく規格値を満たせないからです。しかし、同じCat5/Cat6のケーブルでも、長さが約700mであれば規格に準拠できる可能性があります。
ケーブル長に対する挿入損失の依存性
先述したように、挿入損失という指標は、周波数に対する信号の減衰量を表します。そして、dB単位の挿入損失の値はケーブル長に正比例します。
ここで、種類が同じで長さが異なる2本のケーブルがあったとしましょう。そして、一方の長さは短い方の長さのk倍であるとします。その長い方のケーブルを使用するリンクのセグメントでは、トータルの挿入損失が短い方のケーブルを使用した場合のk倍になります。例として、同じ種類の1000mのケーブルと100mのケーブルを比較するとします。その場合、1000mのケーブルの挿入損失(対周波数の特性曲線)は、100mのケーブルと比べて約10倍になります。
ケーブル長に対するリターン・ロスの依存性
全長にわたって構造が均一なワイヤが存在すると仮定します。つまり、ワイヤ径は一定、ワイヤの間隔も一定、1m(単位長)当たりの撚りが均一といった理想的な条件を満たすということです。その場合、ケーブルのリターン・ロスはその長さに依存して変化することはありません。
10BASE-T1Lによる通信で使用する周波数範囲では、リターン・ロスはケーブル長にはほとんど依存しません。ただ、同じ種類のセグメントを連結して1つのケーブルが構成されているとしたら、事情が異なります。その場合、連続的かつ単一のセグメントから成るケーブルよりもリターン・ロスが大きくなるかもしれません。なぜなら、セグメントのすべての接続個所で反射が起きる可能性があるからです。説明を簡素化するために、以下では、特定の種類のケーブルにおけるリターン・ロスは、その長さに依存することなく一定であると仮定します。
ケーブル長とリンク遅延の関係
任意のケーブルにおいて、信号の遅延はケーブル長に正比例します。ケーブルによる遅延の大きさはケーブルの種類によって異なります。また、そのケーブルの構造にも依存します。通常、ケーブルのメーカーは、この情報をNVPの関数として提供しています。以下の式は、ケーブルのNVPの値に基づいてリンク遅延を計算する方法を表しています。
ここで、Lは対象とするケーブルの長さ、NVPはケーブルの公称伝搬速度、cは光の速度です。図6に、ケーブル長とリンク遅延の関係を示しました。ここでは、NVPがそれぞれ0.5、0.8のケーブルを例にとっています。これを見ると、IEEE 802.3cgでは、NVPの値が低く、長さが1300m以上に達するケーブルに対してもリンク遅延の値が規定されていることがわかります。堅牢性を高めることと温度に対する変化に備えることを目的とし、この規格には十分な余裕が盛り込まれています。
ケーブルの最大伝送距離
通常、ケーブルの伝送距離を制限する主な要因は挿入損失です。そのため、APLでは挿入損失を考慮してケーブルのカテゴリを定義しています。また、挿入損失の値はケーブルの長さに正比例します。そのため、APLのカテゴリはケーブル長にも注目して定義されています。
アプリケーションにおいて特にAPLへの準拠が求められているのでなければ、10BASE-T1Lを採用することにより柔軟性を高められます。シールド・ケーブル、シールドのないケーブルに加え、インピーダンス・ミスマッチの大きいケーブルにも対応できるからです。また、ケーブルの再利用も可能になります。更に、アプリケーションによってはIEEE 802.3cgの規格を上回る条件でケーブルを使用できることもあります。そのようなアプリケーションにも対応できるようにするために、アナログ・デバイセズは10BASE-T1L対応の製品において大きなマージンを確保しています。具体的には、最長1700mの通信距離にも対応できるように設計しています。加えて、様々な種類のケーブルを対象として高い堅牢性を保証することも可能になっています。
但し、最大伝送距離はケーブルによって異なります。どのケーブルを使用しても1700mの伝送距離を達成できるというわけではありません。ケーブルによっては、信号の損失が大きすぎることが原因で最大伝送距離が短くなることがあります。
IEEE 802.3cgに準拠するケーブルの最大伝送距離
IEEE 802.3cgへの準拠を目指している場合、配線用のケーブルとPHYデバイスの両方が同規格を満たすようにしなければなりません。ここでは、IEEE 802.3cgにおける挿入損失とリターン・ロスの規格や、同規格に準拠するための検証プロセスについて掘り下げることにします。また、各種のケーブルの最大伝送距離を推定する方法と、ケーブルのテストを実施する方法についても詳しく説明します。
図7は、ケーブルの最大伝送距離を把握するための方法を示したものです。このフローチャートは、各種ケーブルのサンプルにおける挿入損失とリターン・ロスの測定値に基づいています。理論的には、ケーブル長が測定結果に影響を及ぼすことはありません。しかし、実際にはケーブル長が短くなるにつれて測定誤差が増大します。そこで、APLでは500mのケーブルのサンプルを使用して測定を実施することを推奨しています。APLへの準拠を目指すわけではない場合でも、満足な結果を得るために、少なくとも100mのケーブルをサンプルとして使用することをお勧めします。
規格に準拠しているか否かを確認するための最初のステップとしては、様々な周波数におけるケーブルのリターン・ロスを測定します。その結果が式(5)で示した閾値(特性曲線)を下回る場合、そのケーブルはIEEE 802.3cgの規格を満たしていません。したがってそれ以上の検討は不要です。一方、リターン・ロスの測定結果が閾値を上回っている場合には次のステップに進みます。そのステップでは、式(1)と式(2)で規定されたベンチマークを使用してケーブルの挿入損失を評価します。挿入損失が規格の特性曲線を上回っている場合、そのケーブルは規格に準拠していません。
挿入損失とリターン・ロスの検証を実施した後のフローは、規格を満たす最大ケーブル長を推定する方法に相当します。その推定方法では、まず挿入損失の測定結果に係数kを乗じます。そして、係数kの値を変化させながら、伝送レベルが1.0Vp-pの場合には式(1)、同2.4Vp-pの場合には式(2)で得られる特性曲線にできるだけ近い特性曲線を見いだします。それにより、許容できる最大ケーブル長を推定できます。係数kを乗じて外挿を実施することにより、テストに使用したサンプルと種類が同じで長さがk倍のケーブルの挿入損失を推定できるということです。目標は、外挿した挿入損失の特性曲線が、規格で定められた特性曲線を下回るkの最大値を見いだすことです。それに向けて、外挿の過程ではkの値を何度も変更して調整を実施することになります。
最大伝送距離を推定する例
上で示した最大伝送距離の推定方法を実際に試してみましょう。ここで取り上げる例では、挿入損失とリターン・ロスの値は測定済みであると仮定します。
【ステップ1】リターン・ロスの検証
ここでは、ある種類のケーブルXを例にとります。その長さは100mだと仮定します。図8は、このケーブルのリターン・ロスの測定結果と、IEEE 802.3cg/APLのリターン・ロスの規格を示したものです。ケーブルXのリターン・ロスの特性曲線を見ると、測定したどのポイントにおいても、IEEE 802.3cg/APLの特性曲線を上回っています。つまり、ケーブルXはいずれの規格にも準拠していることがわかります。
【ステップ2】挿入損失の検証
挿入損失についても、ケーブルの実測結果に基づく特性曲線と規格の特性曲線をプロットすることにより検証できます。図9では、ケーブルXの挿入損失を測定した結果を青色の実線で示しています。この特性曲線は、伝送レベルが1.0Vp-pの場合の特性曲線(黄色の破線)と同2.4Vp-pの場合の特性曲線(赤色の破線)の両方を大きく下回っています。つまり、ケーブルXの100mのリンクは、伝送レベルが1.0Vp-pまたは2.4Vp-pの10BASE-T1Lのリンクで使用できます。
【ステップ3】IEEE 802.3cgに準拠する最大ケーブル長の推定
続いて、最大ケーブル長を推定する例を示します。ここでは、APLではなくIEEE 802.3cgに焦点を絞ります。ただ、表1に従うことで、APLについて同様の推定を行うことも可能です。
まず、挿入損失の測定結果に対する外挿を行います。そのためには、まず各データに係数kを乗じます。それによって得られる特性曲線が、伝送レベルが1.0Vp-pの規格または同2.4Vp-pの規格の特性曲線を下回るように、kの値を変更しながら調整します。
ここで、図10をご覧ください。この図において、赤色の破線は伝送レベルが1.0Vp-pの場合の挿入損失の規格です。一方、緑色の線は、k = 7の条件で取得した外挿曲線を表しています。つまり、緑色の曲線は、ケーブルXの100mのサンプルで挿入損失を測定し、得られた各データに対してk = 7を乗じることによって得られたものです。ご覧のように、この外挿曲線は赤色の破線のすぐ下に位置しています。つまり、伝送レベルが1.0Vp-pの規格(APLではなく10BASE-T1L)に準拠する最大長は約700m(ケーブル長にk = 7を乗じた結果)だということです。ケーブル長が700mより短ければ、恐らく伝送レベルが1.0Vp-pの場合の規格に準拠するはずです。
また、図10の黄色の破線は、伝送レベルが2.4Vp-pである場合の挿入損失の規格を表しています。一方、青色の線はk = 12を選択した結果得られた外挿曲線です。この外挿曲線は、上記の方法と同様に、ケーブルXの100mのサンプルで挿入損失を測定し、各データにk = 12を乗じることによって得られたものです。この外挿曲線は、黄色の破線のすぐ下に位置しています。つまり、2.4Vp-pの伝送レベルに準拠するケーブルの最大長は約1200mだということです。ケーブル長が1200mより短ければ、恐らく2.4Vp-pの仕様に準拠するはずです。
以上で、挿入損失とリターン・ロスの規格に基づき、ケーブルXを使うリンク・セグメントで使用可能な最大ケーブル長を推定することができました。その結果は、伝送レベルが1.0Vp-pの場合には約700m、同2.4Vp-pの場合には約1200mであると結論づけられます。但し、規格に完全に準拠することが求められるアプリケーションでは、リンク・セグメントのケーブル長が1000mを超えてはなりません。
上述した方法は、他の種類のケーブルにも適用できます。その場合、リンク・セグメントで使用できる最大ケーブル長が1000m未満になる可能性があります。例えば、Cat5/Cat6のケーブルについて同様の評価を行ったとします。その場合、10BASE-T1Lの規格に準拠する標準的な最大ケーブル長は長くても700m程度になるはずです。但し、ケーブルのメーカーや製品によっては、より大きなマージンが確保されているかもしれません。その場合、最大長はより大きな値になる可能性があります。
ADIN1100/ADIN1110/ADIN2111がサポートする最大伝送距離の推定
アナログ・デバイセズは、10BASE-T1Lに対応する各種の製品を提供しています。例えば、「ADIN1100」は10BASE-T1Lに対応するイーサネットPHY製品です。「ADIN1110」も10BASE-T1Lに対応するPHY製品ですが、MAC(Media Access Control)インターフェースも備えています。「ADIN2111」は、10BASET1LのPHY機能を搭載した2ポートのイーサネット・スイッチです。
ここでは、ADIN1100に対応する評価用キット「EVALADIN1100EBZ」を使用して、ケーブルのテストを実施する方法を紹介します。そのテスト手法では、まずベクトル・ネットワーク・アナライザを使用して各種の測定を実施し、ケーブルの主要なパラメータの値を推定します。その上で、EVALADIN1100EBZを使用してイーサネットのトラフィックのテストを実行します。この評価用キットはメディア・コンバータ機能を備えています。評価用のソフトウェアを使えば、フレーム・ジェネレータ、フレーム・チェッカ、平均二乗誤差(MSE:Mean Square Error)の算出、ループバック・モードといった診断機能を活用できます。
テストの手順
ケーブルのテストとしては、まずベクトル・ネットワーク・アナライザを使用して挿入損失とリターン・ロスの値を測定します。次に、それらの測定結果を使用して、そのケーブルが10BASET1Lの規格に準拠しているか否かを評価します。規格に準拠していることが確認できたら、最大ケーブル長を推定します。ここで得られた最大ケーブル長は、前掲の図2に対応したものになります。図2には、IEEE 802.3cgで定義されている伝送レベル(2.4Vp-p、1.0Vp-p)に対応した挿入損失の特性曲線を示してあります。テストの対象とした特定の種類のケーブルはそれらの規格に準拠しており、なおかつ推定された最大ケーブル長で使用できるということになります。
もう少し高度なテストも紹介しておきます。そのテストでは、テストの対象となるケーブルを使って2つのEVAL-ADIN1100EBZを接続します。それにより、10BASE-T1Lのリンクが確立されます。この状態でリンクの性能をテストします。そのためには、フレーム・ジェネレータを使用して全帯域幅におけるイーサネットのトラフィックを送信します。その際、各EVAL-ADIN1100EBZでは、10BASE-T1Lに対応するリンクのMSEをモニタすることができます。また、エラーの数や受信したイーサネット・フレームの数を把握することも可能です。このテストの結果としては、以下の条件を満たした場合だけ合格となります。
- 10BASE-T1Lの通信が正常に確立されている
- MSEが-20.5dBより良好である
- テストの実施中に、受信フレームでエラーが発生していない
種類が同じで長さが様々なケーブルに対してこのテストを繰り返し実行すれば、問題が発生するケーブル長を特定できます。ただ、テストによって得られた最大ケーブル長は、あくまでも実験室で得られる値であるかもしれません。つまり、必ずしもケーブルの実際の最大伝送距離として扱える値であるとは限らないということです。また、ケーブル長の増分として100mを超えるような値を用いていたとします。その場合、問題が発生すると特定された長さは、絶対的な最大ケーブル長を正確に表していない可能性があります。例として、500mのセグメントしか利用できないケースを考えます。その500mのセグメントを2つ接続することで、1000mのリンクを確立できたとしましょう。しかし、1500mのリンクでは問題が発生してしまうかもしれません。真の最大長は1200mといった値なのかもしれませんが、この例の場合、1200mのテストは実施できません。そのため、最終的に問題がない距離として記録されるのは1000mのままになります。
表2に示したのは、実験室で様々なケーブルを対象としてテストを実施した結果です。この表には、10BASE-T1Lの2つの伝送レベル(2.4Vp-pと1.0Vp-p)を使用した場合に規格に準拠すると推定される最大ケーブル長を示しています。また、実験室でEVAL-ADIN1100EBZを使用し、2.4Vp-pと1.0Vp-pの伝送レベルでテストを実施した結果得られた最大ケーブル長も示してあります。
まとめ
IEEE 802.3cg-2019では、ケーブルについて高い柔軟性が得られるように規格が定められています。実際、以前に古い通信プロトコルで使われていた多様な種類のケーブルも使用可能です。また、多様な伝送距離に対応し、ゲートウェイを使用することなく、イーサネットによってエッジのデバイスをシームレスに接続することができます。
ケーブルの品番 | 種類/用途 | ケーブルのゲージ | 1.0Vp-pの規格に対応するおおよその最大長 | 2.4Vp-pの規格に対応するおおよその最大長 | 実験室のテストで得られた最大長 | 備考 |
Helukabel 828361 | Profibus PA | 18 AWG(単線) | 700m | 1200m | 1700m | 注1 |
Belden 74040H | SPE(Single Pair Ethernet) | 18 AWG(単線) | 700m | 1200m | 1700m | 注1 |
Helukat SPE L SF/UTP | SPE | 18 AWG | 700m | 12000m | 1650m | |
Helukabel 11018120 | FOUNDATION Fieldbus |
18/7 AWG | 未測定 | 未測定 | 1260m | 注3 |
Cat6 | 10/100/1000BASE-T | 23 AWG | 410m | 700m | 930m | 注1 |
Helukabel J-H(ST)H Bd | 電話回線、計測、制御 | 0.8 mm | 未測定 | 未測定 | 590m | 注3 |
Belden 3076F | フィールドバス | 18 AWG(撚り線) | 235m | 400m | 535m | 注1 |
J-Y(ST)Y...LG | 火災警報器のケーブル | 0.8mm径の導体 | 175m | 300m | 400m | 注1 |
TP/1/1/22/HF/200 | 制御、計測 | 22 AWG | 210m | 350m | 400m | 注2 |
TP/1/1/24/HF/305 | 制御、計測、 BACnet MS/TP |
24 AWG | 300m | 500m | 350m | 注2 |
【注1】実験室のテストで得られた最大長は、テストの実行中に機能したリンクの最大長に対応します。
【注2】実験室のテストで得られた最大長は、ケーブルの可用性によって制限されます。また、トランシーバーの伝送距離によって必然的に制限されます。
【注3】ケーブルのパラメータが入手できなかったので測定を実施していません。
1テストの対象となったHelukabel 82836はProfibus PA用のケーブルです。Profibus PAでは、31.25kBの伝送レート、100±20Ωの特性インピーダンス、39kHzで最大3dBの電磁波減衰量という規格が標準化されています。
特に、プロセス制御のアプリケーションについては、IEEE802.3cgまたはAPLに準拠していることが望ましいと言えます。しかし、現実の多くのシステムにおいては、導入コストを削減するために、両規格に準拠していない既存の配線を再利用したいというニーズが存在します。アナログ・デバイセズのADIN1100/ADIN1110/ADIN2111は、規格に準拠するケーブルにも準拠していないケーブルにも対応できるようにするために、大きなマージンを確保して設計されています。そのため、様々な種類のケーブルを使用しつつ10BASE-T1Lの技術を容易に導入することができます。例えば、他の通信プロトコル用に既に敷設されていたケーブルを使用することも可能です。その一方で、データ・リンクの堅牢性は強化されます。アナログ・デバイセズの10BASET1L対応製品は、このような柔軟性を提供します。更に、伝送レベルが1.0Vp-pであっても2.4Vp-pであっても、一貫性を持つ形でケーブルの伝送距離を維持できます。
アナログ・デバイセズは、10BASE-T1Lに対応する診断ツールも提供しています。そのツールを使用すれば、計画、試運転、運用の各段階でシステムの診断を容易に実施できます。その診断ツールは、フレーム・ジェネレータ、フレーム・チェッカ、MSEを基にしたリンクの品質表示、時間領域反射率測定(TDR:Time Domain Reflectometry)によるケーブルの障害検出といった機能を備えています。そのため、この診断ツールを活用すれば、配備の作業を合理化することができます。また、診断によって得られた知見を活用することでダウンタイムを最小限に抑えられます。更に、障害が発生した際の保守作業の負荷を軽減することが可能になります。