はじめに
飲料の製造工場や、製薬プラント、廃水処理プラントなどでは、水質の重要な指標を測定/制御するために水質監視システムが必須となります。水質を表す指標としては、水の物理的、化学的、生物学的な特性を示す各種パラメータを使用できます。具体的には、以下のようなものがあります。
- 物理的な特性:温度、濁度
- 化学的な特性:pH、酸化還元電位(ORP:Oxidation Reduction Potential)、導電率、溶存酸素
- 生物学的な特性:藻類、細菌
本稿では、これまでも不可欠だったものの、測定の信頼性が低く、測定システムの実装も容易ではなかった化学的な特性に焦点を絞ります。化学の分野の1つに電気化学があります。これは、ある反応物から別の反応物への電子の移動量を測定することにより、還元酸化(レドックス)反応の挙動を評価するというものです。電気化学的な手法を直接的/間接的に使用すれば、水質に関する上記パラメータの値を測定することができます。電気化学的な測定を行うためのシステムは、以下に示す2つの主要なブロックで構成されます。
- センサー:水質を表すパラメータの値を測定し、その結果に対応する電気信号を生成するために使用するデバイスです。
- 測定/処理ユニット:電気信号の測定と処理を行う回路です。
図1に、システムの構造を簡略化して示しました。通常、処理プラントでは、各所に数多くの有線センサーが配備されます。フィールド内のセンサーについては、頻繁にクリーニングと補正を行う必要があります。また、必要に応じて何度も交換することになるはずです。ワイヤレス・ネットワークを活用すれば、そうした負荷の一部を軽減することができます。ただ、そうしたアプリケーションは、過酷な環境下で運用されることになります。そのため、堅牢性の面で問題のないセンサー・アプリケーションを実現するのは、必ずしも容易なことではありません。
この問題は、最先端の計測技術やネットワーク技術を適用することで解決できます。そのようなアプローチを採用すれば、信頼性の高いワイヤレス・センサー・ネットワークを実現することも可能だということです。本稿では、ワイヤレスの水質監視システムの機能を実現するデモ用のプラットフォームを紹介します。このプラットフォームは、化学センサー用のインターフェースを備えるアナログ・コント―ラ「ADuCM355」と、堅牢性が高く消費電力の少ないワイヤレス・メッシュ・ネットワーク製品「SmartMesh® IP」を組み合わせて実現されています。特に、SmartMesh IPを採用したことで、有線に匹敵する信頼性を得ることができます。このプラットフォームでは、水質を表すパラメータとしてpHの測定に焦点を絞っています。ただ、ワイヤレス・ノードにおいて、他の電気化学的パラメータに対応するセンサーを使用するよう変更すれば、このシステムは容易に拡張することができます。

pHの基本
pHの値は、水溶液中の水素イオンと水酸化物イオンの相対的な量を表します。水素イオンの濃度と水酸化物イオンの濃度が等しい場合、その水溶液は中性だということになります。pHは、溶液の酸性度または塩基性度を測定し、水素イオン濃度を表す方法だと表現することもできます。pHの値は、次の式で定義することが可能です。

ここで、H+は水素イオン濃度(単位はmol/l)です。
水溶液のpHは0~14の値をとります。中性溶液のpHは7、酸性溶液のpHは7未満、アルカリ溶液のpHは7を上回ります。
pHプローブ
pHプローブは、ガラスの電極(測定電極)とリファレンスの電極で構成される電気化学的センサーです(図2)。

水溶液にpHプローブを挿入すると、測定電極は水素イオンの活量に応じた電圧を生成します。その電圧は、内部のリファレンス電極の電圧と比較されます。測定電極とリファレンス電極の差が電圧の測定値となります。これについては、以下に示すネルンストの式で表されます。

各変数/定数の意味は以下のとおりです。
E:活量が不明な電極の電圧
a:ゼロ点公差。値は±30mV
T:周囲温度(°C)
n:原子価(イオンの電荷数)。値は1(25°C)
F:ファラデー定数。値は96485C/mol
R:理想気体定数。値は8.314VC/K/mol
pH:溶液の水素イオン濃度
pHISO:リファレンス用の電解質の水素イオン濃度。プローブの技術ドキュメントを参照。代表値は7
この式は、既知の方法によりpHに応じて生成される電圧を表しています。この式から、生成される電圧は溶液の温度に正比例することがわかります。溶液の温度が上昇すると2つの電極間の電位差は増加し、温度が下降すると電位差は減少します。理想的なpHプローブは、25°Cで±59.154mV/pHの電圧を生成します。
温度が変化すると、測定電極の感度も変化する可能性があります。これは測定誤差の原因となります。ただ、この誤差は予測が可能なので、温度範囲全体にわたってプローブのキャリブレーションを実施することにより、測定時の温度に応じて補正することが可能です。通常、pHプローブには温度センサーが組み込まれています(図3)。温度センサーとしては、NTC(負温度係数)サーミスタやPT100、PT1000などのRTD(測温抵抗体)を使用できます。

実際のアプリケーションでは、温度センサーが温度の変化を検知したら、pHの読み取り値に補正係数を適用し、より正確な値がメータに表示されるようにします。このようなメカニズムを採用することで、温度の変化によって生じ得るpHの誤差を補正することができます。
ADuCM355を使って構成したpH測定ユニット

ADuCM355は、化学センサーを使用する測定システム向けのフロント・エンドICです。高い集積度を誇る業界最先端の製品であり、あらゆる測定機能を実現する回路と低消費電力のプロセッサが統合されています。そのため、pHを測定するためのプラットフォーム・ソリューションとして活用できます。同ICを採用すれば、小さなフォーム・ファクタで消費電力を極めて少なく抑えたプラットフォームが得られることになります。センサーのハウジング内に実装可能なほど小型であるにもかかわらず、ベンチトップ型の機器と同様の機能と性能が得られます。図4に、ADuCM355を使用してpHを測定するための回路(ボード)の概要を示しました。このボードはCN-0428(リファレンス設計)で使用されているものであり、温度センサーを備えるpHプローブと接続するためのBNCコネクタとRCAコネクタを備えています(図5)。

pH測定用のセンサー・ノードとSmartMeshの接続
筆者らは、ADuCM355とSmartMeshのトランシーバーを組み合わせて、小型で低消費電力のpH測定用センサー・ノードを構成しました。ADuCM355は、測定したpHの値をデジタル・データとして出力します。このデジタル・データは、UART(UniversalAsynchronous Receiver Transmitter)を介してSmartMeshIPのワイヤレス・トランシーバーである「LTP5902」に送信されます。LTP5902は、SmartMeshのネットワークを介してデジタル・データをSmartMesh IPマネージャに送信します。

SmartMeshは、アナログ・デバイセズのワイヤレス・メッシュ・ネットワーク・ソリューションです。IEEE 802.15.4eに準拠しており、2.4GHz/マルチホップに対応します。また、AES-128の暗号化と認証をサポートしており、堅牢性の高いエンドtoエンドのセキュリティ性能が得られます。加えて、エネルギー効率が高く超低消費電力であるため、各センサー・ノードはバッテリで駆動できます。
SmartMeshをベースとするネットワークは、トリプルプレイの冗長性を提供するTSCH(Time Slotted Channel Hopping)のリンク層を使用して通信を行います。SmartMeshのネットワーク・マネージャ(ゲートウェイの一部)は、スケジュールの調整、セキュリティの管理、OTA(Over-the-Air)のプログラミング、24時間365日にわたる接続の自動的な最適化を実施します。ネットワーク・マネージャは、API(Application Programming Interface)を介してネットワークの健全性に関する詳細なレポートも提供します。小規模なネットワークの場合、1つの組み込みマネージャによって、最大100個のセンサー・ノード(モート)に対応できます。VManagerは、5万ものノードをサポートします。

SmartMeshのデータの信頼性については、厳格なネットワーク・ストレス・テストによって、99.999%という値を達成することが確認されています。産業用のワイヤレス・センサー・ネットワークにおいては、高い可用性を維持し、パケットの損失が発生しないようにしなければなりません。SmartMeshは、このような用途に対して最適なソリューションです。
ワイヤレスの水質監視システム

図8に、ワイヤレスの水質監視システムの概要を示しました。このデモ用システムは、以下のようにして構成されています。
- 4 つのセンサー・ノード
- 各センサー・ノードは、ADuCM355 と SmartMesh IP モートに接続された pH プローブで構成しました(前掲の図 6)。pH プローブとしては、温度センサーを内蔵し、ガラス電極を採用した既製品を使用しています。
- pH プローブは pH の値を検出します。ADuCM355 は測定に必要な処理と演算を実行し、得られた pH 値をデジタル・データとして出力します。このデータは、SmartMeshのワイヤレス・ネットワークを介して SmartMesh IP マネージャに転送されます。
- SmartMesh IPマネージャは、USB経由でPCに接続します。
- このシステムのゲートウェイは、PC によって実行されます。この PC には、「Node-Red」と SmartMesh SDK がインストールされています。SmartMesh SDK は、データ用の JSON(JavaScript Object Notation)サーバを構築するために使用します。同サーバは Node-RED に接続されます。Node-RED は、各センサー・ノードで測定された pH の値の表示に使用します。また、Node-RED により、「IBM Watson」、「AWS(Amazon Web Services)」などのクラウド・サービスへの接続が可能になります。
ハードウェアの設定

構築したシステムは、デモンストレーションを目的としたものです。そこで、3槽から成るスタッガード状の水槽を測定の対象物として使用しました(図9)。この構成では、上部の水槽から次段の水槽へ水が流れるようになっています。各水槽には、pHプローブを浸しています。SmartMeshのネットワークでは、ワイヤレスで通信が行われるということを示すために、少し離れたところにリファレンス溶液に浸した4つ目のプローブを配置しています(図9には写っていません)。上部の水槽において、溶液のpHが変化すると、Node-REDのデータが更新されて新しいpH値が表示されます。この状態の溶液が上部の水槽から次段の水槽に流れていくと、他の2つのpHプローブにより測定値が更新されて、画面にデータが表示されます。4つ目のpHプローブは、pHが変化しないリファレンス溶液に浸しています。そのため、このpHプローブで取得した値は変化しません。Node-REDと測定データの詳細については、次のセクションで説明します。デモの様子はこちらで視聴することが可能です。

測定したデータ
4つのセンサー・ノードで測定したpHの値は、PC上で稼働するNode-REDを使って表示されます。図12、13、14に測定結果の表示例を示しました。
Node-REDは、ウェブ・ベースのブラウザを備えるプログラミング・ツールです。これにより、ハードウェア、API、その他のオンライン・サービスを互いに接続することができます。本稿のデモに使用したJSONによる処理フローを図11に示しました。




まとめ
本稿では、ADuCM355とSmartMesh IPを使用して構築したワイヤレスの水質監視システムについて説明しました。これらの製品を採用すれば、フォーム・ファクタを小型化し、消費電力を削減できるので、バッテリ駆動のセンサー・ノードを実現できます。また、堅牢性の高いSmartMeshを使用することで、過酷な環境下でもデータを確実に伝送することが可能になります。本稿で紹介したデモでは、信頼性の高いワイヤレス監視システムの機能と、クラウドへの接続性を示しました。これらは、最終アプリケーションに対して大きなメリットがもたらされる可能性を示しています。これらの技術を活用することにより、近づきにくい場所の水質を監視したり、水質に関して様々な閾値を設定してアラーム/警告を発するようにしたり、水質に関する信頼性の高い情報を継続的に取得したりすることが可能になるからです。
参考資料
「CN-0398: 温度補償型土壌水分および pH 測定システム」Analog Devices、2020年1月
「CN-0409: 低レベル~高レベルの濁度測定システム」AnalogDevices、2020年1月
IBM Watson IoT Platform、IBM Corporation、2019年
Christoph Kämmerer「Liquid Measurements―From Water to Blood(液体の測定――水から血液まで)」AnalogDevices、2019年10月
「Node-RED: Low Code Programming for Event-Driven Applications(イベント駆動型アプリケーション向けのロー・コード・プログラミング)」Node-RED、2020年1月
Thomas Tzscheetzsch「温度補償付きの絶縁型pHモニタ」Analog Devices、2019年7月
「Water Quality(水質)」Fondriest Environmental, Inc.、2020年1月
@Pd2019S「pH of sensor 4 is 6.877 at timestamp 2019-11-06 18:13:55.593000」Twitter、2019年11月、6:13 PM
謝辞
デモ用システムの開発のサポート、記事のレビューに時間を割いてくれたScott HuntとBill Lindsayに感謝します。また、記事のレビューと校正を行い、知見も提供してくれたDan BraunworthとDan Burtonに感謝します。