トランシーバ IC のイメージ除去性能、RadioVerse 製品の実力を知る

アナログ・デバイセズは、広帯域に対応するトランシーバ製品ファミリーとして、「AD9361」と「AD9371」を提供しています。いずれもRadioVerse技術を採用している点を最大の特徴とします。比類のないレベルの高い集積度が実現されており、豊富な機能とユーザーが選択可能な多数のオプションが提供されます。ただ、これら2 つの製品ファミリーには、消費電力をはじめ、いくつかの主要な仕様について性能レベルに明確な違いがあります。イメージの除去性能は、そうした項目の 1 つです。本稿では、イメージを発生させる要因や、イメージの実体、システム全体の性能に及ぶ影響などについて説明します。このような知識を身につければ、十分な情報に基づいて判断を下し、アプリケーションに適したトランシーバを選択することができるはずです。

イメージ除去の基礎

AD9361とAD9371の両製品ファミリーは、ゼロIF(ZIF)アーキテクチャを採用しています。このことが、非常に高いレベルの集積度につながっています。また、システムにおいて周波数に依存する部品数を削減できる要因にもなっています。図 1 に AD9371 のブロック図を示しました。これを見ればわかるように、メインの受信信号パスと送信信号パスでは、1 つの複素ミキサー段を使用しています。この部分で、局部発振器(LO)の周波数を中心とする無線周波数帯(RF)と、DC を中心とするベースバンド帯の間の変換が行われます。なお、ZIF アーキテクチャのトランシーバに使用される複素ミキサーについて理解したい方には、稿末に参考文献として挙げた記事1 をお勧めします。

Figure 1
図 1. AD9371 のブロック図。この 製 品 はRadioVerse 技術を採用したトランシーバ IC です。

集積度が高いことから多くのメリットが得られる半面、ZIF アーキテクチャを採用することには課題も伴います。複素ミキサーでは、同相(I)信号と直交(Q)信号を扱います。両者の位相や振幅に不整合があると、アップコンバートされた I 信号と Q 信号の結合時に行われる加算やキャンセルによる効果が低下します。これについては、先ほど紹介した記事で説明されています。キャンセルが不完全になると、送信側では、システムで本来扱いたい信号(以下、対象信号)を、LO 周波数を中心として反転させた位置にコピー信号が現れます。これがイメージと呼ばれるものです。このイメージの振幅は対象とする信号よりも小さくなります。同様に、受信側では対象信号を、DC を中心として反転させた位置にコピー信号が現れます。このイメージを中間段のフィルタで除去できるアーキテクチャもあります(スーパー・ヘテロダインなど)。そうした中間段のフィルタやミキサーが不要であることが、ZIF アーキテクチャの最大のメリットですが、その代わりに、I 信号とQ 信号のバランスを適切に調整し、イメージの振幅を許容できるレベルまで減衰させる必要があります。

図 2 は、上述した不整合が生じる受信信号パスを簡素化して示したものです。ΔA、ΔfC、Δφ が不整合の要因です。この図では、1 つのパスでだけ、これらの要因が加算されるように描かれています。イメージは信号のゲインや位相の絶対値が問題になって生成されるのではありません。信号パス間でのインバランス(不均衡)によって生成されます。そのため、複数の信号パスのうち 1 つだけに、インバランスを表す要素を盛り込むのが数学的に正しい表現になります。図 2 の複素ミキサーは、供給される 2 つの LO 信号が互いに直交していることから、直交ミキサーとも呼ばれます。

Figure 2
図 2. 簡素化して示した直交受信信号パス。不整合が発生する要因を示しています。

図 3 は、シングル・トーンまたは連続波(CW: Contin-uous Wave)の対象信号と、それを受けて発生した不要な CW イメージを示したものです。対象信号は周波数 ωCにダウンコンバートされています。ただ、直交バランスが完璧でないことから、周波数 -ωCの位置にイメージが現れています。イメージ除去比(IRR: Image Rejection Ratio)は、対象信号と不要なイメージ信号の差を dB 単位で表したものです。直交バランスのずれを低減する処理を、直交誤差補正(QEC: Quadrature Error Correction)と呼びます。

Figure 3
図 3. シングル・トーンの対象信号と不要なイメージ

イメージの振幅を、ゲインと位相の不整合を使った式で表すと以下のようになります。

Equation 1

各変数の意味は以下のとおりです。

Δ: 正規化された振幅のインバランス。2 つの信号をキャンセルするためには、理想的には、それぞれの出力の位相が 180° 異なり、振幅が同一である必要があります。cos(d) の「d」は、2 つの信号間の位相偏差を表しています。d が 0 である場合が理想的な状態です。1° とは、一方の信号の位相偏差が 180° ではなく 179° であることを意味します。一方の信号の振幅が 1 で、他方が0.99 である場合、Δは 0.99 となります。

θ: 位相のずれ(値が0 である場合が理想的な状態。単位は°)

イメージの除去性能は、入力となる両方の変数からの影響を受けます。つまり、上の式は 2 次元の行列に対応します。図 4 はその行列の一部を示したものです。この図において、水平軸は振幅のインバランス、奥行き軸は位相誤差、垂直軸はイメージ除去性能(単位は dB)を表します。例えば、振幅に 0.00195 dB のインバランスがある状況で 76 dB のイメージ除去が必要である場合、位相誤差は 0.01286° 未満でなければなりません。単一の IC として実現する場合でも、I と Q の整合性に影響を与える全ての要因を制御して、50 dB を超えるイメージ除去性能を達成するのは至難の業です。AD9371の標準的なイメージ除去性能である76 dB を達成するには、アナログ信号パスの各種変数を調整するだけでなく、デジタル領域で補正を行うためのアルゴリズムが必要になります。

Figure 4
図 4. 振幅/位相のインバランスとイメージ除去性能の関係

イメージが対象信号に与える影響

図 5 は、ダウンコンバージョン後に DC 中心の波形となるシングルキャリアを簡素化して示したものです。このような波形の例としては、20 MHz 幅の LTE ダウンリンクにおける OFDM(直交周波数分割多重方式)信号の1 つのインスタンスが挙げられます。図 5 に示すように、対象信号の負側のイメージは正側に現れ、正側のイメージは負側に現れます。DC を中心とするシングルキャリアの場合、イメージは対象信号の範囲内(またはその上側)に現れます。その結果、対象信号が大きく劣化してしまいます。

Figure 5
図 5. 変調後のシングルキャリアと不要なイメージ

信号を受信して復調する際には、いくつかの問題が伴います。その1 つが、受信信号パスのノイズ・フロアを上昇させる熱ノイズです。イメージが対象信号の範囲内に現れる場合、そのイメージによってノイズが追加されます。トータルのノイズ量が多すぎると、信号を復調することができません。図 5 と図 6 に示した熱によるノイズ・フロアは1 つの例ですが、以下ではその影響は無視できるものとします。

AD9361 が内蔵する LO 回路には、推奨される性能を備えたリファレンス・クロック源から適切なクロックが供給されます。これを使用する場合、ノイズ・フロアの影響を受けないという条件下で、AD9361の EVM(エラー・ベクトル振幅)は約 -40 dB になります。EVMを-40 dB に制限する要因は、RF 向け PLL の位相ノイズです。AD9361 のイメージ除去性能は約 50 dBc です。つまり、図 5 に示したシングルキャリアの場合、イメージのみに起因する EVM の低下はわずか 0.5 dB 程度ということになります。EVM をさほど低下させないことから、このトランシーバは64QAM、あるいはより高次のQAM方式に対する制約要因にはなりません。図 5 のシングルキャリアの場合で、イメージは必ず対象信号よりも約 5 0 dB 小さくなります。

図 6 は、マルチキャリアの例です。この場合、ダウンコンバージョン後の対象信号は DC を中心として現れます。

Figure 6
図 6. 変調後のマルチキャリア信号。信号 1 による不要なイメージによって信号2が大きく劣化します。

各対象信号のイメージは、DC を中心として反転した位置に現れます。この例では、2 つの対象信号が、DC から同じオフセット位置にダウンコンバートされます。対象信号1 は正の側、対象信号 2 は負の側に現れます。対象信号2 の振幅は、対象信号 1 よりも 60 dB 小さいことに注意してください。2 つの搬送波の振幅に差が出るのは、マルチキャリアの場合にはよくあることです。2 つの移動局からの信号は同じ基地局まで伝送される間に異なる経路をたどります。そのため、損失に差が出て、振幅に違いが生じることがあります。基地局から 2 つの移動局までの距離が異なったり、2 つの移動局から異なる障害物を透過/迂回して伝送が行われたりする場合に、このような現象が生じる可能性があります。

対象信号 2 の振幅は、対象信号 1 のイメージよりも1 0 dB 小さくなっています。これは、対象信号 2 の S/N 比が -10 dB であることを示しています。最もシンプルな変調方式を使用する場合でも、復調は、不可能ではないにしても非常に困難です。このような状況に対処するには、明らかに、より高いイメージ除去性能が必要です。

図 7 は、同じ状況において AD9371 ではどのようになるのかを示しています。同 IC が受信時に発揮する標準的なイメージ除去性能を適用すると、このような結果になります。

Figure 7
図 7. 変調後のマルチキャリア信号。信号 1 による不要なイメージは信号 2 よりも小さくなります。

図 7 を見ると、対象信号 1 によるイメージの振幅が、対象信号 2 よりも 15 dB 小さくなっています。つまり、S/N 比は 15 dB あり、各種変調方式によって対象信号 2 を十分に復調できます。

AD9361/AD9371 で直交インバランスを低減する方法

AD9361 と AD9371 では、直交インバランスを本質的に低減できるように、アナログ信号と LO 信号のパスが最適化されています。しかし、上述したとおり、適切に設計されたチップであっても、達成できる能力には限りがあります。そこで必要になるのはデジタルでの補正です。それにより、イメージ除去性能を数桁改善することができます。

AD9361 のレシーバにおける直交補正には、受信したデータを基にスペクトル全体を解析し、帯域幅全体にわたって平均補正を実施するアルゴリズムが使われています。シングルキャリアで比較的狭い 20 MHz 幅といった条件下では、この補正により対象とする帯域全体にわたって良好なイメージ除去性能が得られます。このアルゴリズムは周波数に依存せず、受信したデータを対象として動作し、リアルタイムに更新を行います。

AD9371 では、テスト用のトーン信号を印加して初期化を行っている時と、実際に受信したデータを使って動作している時に、受信したイメージを除去するための補正処理を行います。このような高度な補正によって、周波数に依存するインバランスと周波数に依存しないインバランスが調整されます。このアルゴリズムもリアルタイムに更新を実施します。このような高度なアルゴリズムと、補正を実行する回路により、占有信号帯域幅の全体にわたって AD9361 よりも約 25 dB 高い性能が得られます。

本稿では、受信信号パスを例にとり、直交インバランスを発生させる要因とその影響について説明しています。ただ、ZIF アーキテクチャを採用したトランシーバでは、送信信号パスについても同じ問題に対処する必要があります。対象信号や LO 信号のパスにインバランスが生じると、トランスミッタの出力には対象信号に加えてそのイメージが含まれます。

AD9361 では、送信信号パスに対して初期補正を実行します。当然のことながら、同 IC のハードウェアの設計は最適化された結果、得られたものですが、初期補正により、その設計が内在するレベル以下に直交インバランスを低減します。この初期補正では、1 つの周波数に配置され、1 つの減衰設定が施された CW トーンを使用します。通常、このアルゴリズムによってイメージは対象信号よりも約 50 dB 小さくなります。これは -50 dBc(搬送波よりも 50 dB 小さい)と表記することもできます。温度、対象とする帯域幅の広さ、減衰設定に依存し、イメージのレベルは変動する可能性があります。

AD9371 では、送信パスに対する初期補正において、対象信号の帯域幅全体に分散する多くのトーンを内部で生成して使用します。それにより、送信側の複数の減衰設定に対する補正用の係数を求めます。動作中には、実際の送信データを使用して送信信号パスに対するトラッキング補正を行い、補正用の係数を定期的に更新します。AD9371 は、AD9361 よりも約 15 dB 高いイメージ除去性能を達成します。さまざまな温度や、減衰設定、占有信号帯域幅の全体にわたって高い性能を維持します。

簡素化した具体例

ここまでに説明した内容を基に思考実験を行ってみましょう。中央の基地局と複数のクライアント・デバイスから成るシステムを構築するケースを考えます。話を簡素化するために、このシステムは、マルチパスを生成するビルなどの障害物の影響を受けないものとします。図 8 に示すように、基地局は、半径 100 m のエリア全体に分散するクライアント・デバイスとの間で通信を行うと仮定します。

Figure 8
図 8. 基地局と複数のクライアントから成るセル・カバレッジ・エリア

このシステムでは、同時に送信される 6 MHz 幅の複数の搬送波を使用します。帯域幅の総計は 18 MHz にわたります。ここで、1 つのクライアント・デバイスが基地局の非常に近く(例えば 0.3 m 以内)に存在し、最も遠いクライアント・デバイスは 100 m 離れた位置にあるとします。その場合、両者の自由空間伝搬損失の差は約 5 0 dB となります。また、基地局のベースバンド・プロセッサは、受信電力を測定し、クライアントに対して送信電力を最大 10 dB 増減するよう指示できるものとします。基地局に近いクライアントの送信電力を 10 dB 引き下げ、エリアの最遠端にあるクライアントはフルパワーで送信を行うとすると、基地局における受信電力は 10 dB 低下します。その結果、図 9 に示すように全体的な差は最大で 40 dB となります。図 9 に示した 2 つの搬送波は、このワーストケースの様子を表したものです。ここで、2 つの対象信号の間に存在する可能性があるその他の搬送波は省略していることに注意してください。

Figure 9
図 9. 変調後のマルチキャリア信号の例

このシステムにおいて、基地局とクライアントで同じトランシーバを使用すると仮定します。AD9361 を使用する場合、送信イメージは対象信号の振幅よりも約 50 dB 小さくなります。レシーバによって同程度の量のイメージ電力も追加されます。2 つの直交インバランスが結合し、対象信号よりも約 47 dB 小さいイメージが生成されます。

リンクの両端で AD9371 を使用すると、通常、送信イメージは 65 dB 小さくなります。また、レシーバによって生成されるイメージは、対象信号よりも 75 dB 小さくなります。両者の結合によるトータルのイメージは、対象信号よりも約 64.5 dB 小さく抑えられます。図 10 に、AD9361 と AD9371 の結果を示します。

Figure 10
図 10. 変調後のマルチキャリア信号。A D9361と AD9371 のそれぞれを使用した場合のイメージの振幅を示しています。

この簡単な例では、イメージの影響のみを考慮し、熱ノイズ、位相ノイズ、非直線性などが S/N 比に与える影響は無視しています。この条件下で、AD9361 では約 7 dB、AD9371 では約 24.5 dB の S/N 比が得られました。このシステムで 64QAM などの複雑な変調方式を使用する場合は、システム全体に対する S/N 比の要件から、おそらく AD9371 が最適な選択肢になるでしょう。QPSK(4位相偏移変調)などのシンプルな変調方式を使用する場合には、AD9361 でも十分な性能が得られます。ベースバンド・プロセッサで採用する手法に依存し、システムとして、信号の復調にどれだけの S/N 比が必要なのかが決まります。当然のことながら、現実のシステムについて検討する場合には、思考実験では無視していた熱ノイズなどの影響を考慮しなければなりません。

まとめ

ここまで、受信信号パスに着目し、2 種類のトランシーバがそれぞれ採用している直交補正のアルゴリズムについて説明しました。不要なイメージの影響は、同じ理由に基づいて送信パスにも生じます。送信側のイメージがより小さな搬送波の上に重なると、信号を受信する移動局においても同様の問題が生じます。

本稿では、2 つのトランシーバ製品ファミリーを例にとり、それぞれがイメージのレベルを低減するために採用している手法について説明しました。両製品ファミリーの性能の差も定量的に示すとともに、具体的な例を挙げながらシステム設計について示し、受信信号の復調に必要な S/N 比についても解説を加えました。本稿で説明したように、AD9371 は AD9361 よりも優れたイメージ除去性能を備えています。ただし、AD9371 は高速シリアル・インターフェースを採用しており、AD9361 よりも消費電力が多くなります。そのため、システム設計者は、あらゆる側面について検討を行い、各アプリケーションに最適なソリューションを見いだす必要があります。

参考資料

著者

Patrick Wiers

Patrick Wiers

Patrick Wiers は、グリーンズボロにあるアナログ・デバイセズのトランシーバ製品グループで、アプリケーション・マネージャを務めています。2007 年にトランシーバを担当するアプリケーション・エンジニアとしてアナログ・デバイセズに入社しました。それ以前には、防衛用途やオーディオ用途向けの基板レベルの回路設計に携わっていたほか、5 年間にわたり、フィールド・アプリケーション・エンジニアとしてソフトウェア無線や WLAN 製品を担当していたこともあります。