はじめに
Analog Dialogueの48-11号に掲載された 『同期検波を活用し、微小信号を高精度に計測』という記事では、ノイズ・レベルが比較的高い環境下で低レベルの信号を測定する場合に、同期式復調を利用することのメリットについて論じています。本稿では、この議論をさらに発展させます。具体的には、消費電力とコストの面で厳しい制約があるシステムにおいて、同期式復調を活用し、センサー向けのシグナル・コンディショニング機能を設計する際の検討事項について考察します。慎重に設計を行えば、シンプルさ、コスト、消費電力の面でアナログ・システムに勝るものはありません。そこで、本稿で示すアーキテクチャは、ほとんどの信号処理をアナログ領域で実行します。
センサーの励起
現在では、温度、光、音などのさまざまな環境パラメータを測定するために、至るところでセンサーが使われています。センサーの中には、パラメータに依存する電圧源または電流源として動作するものがあります。例えば、熱電対は基準接点と測定対象物との接点の間の温度差に比例する電圧を生成します。また、ほとんどのセンサーは、各種パラメータに関する既知の関係に基づく伝達関数に応じて動作します。多くの場合、それらの伝達関数はインピーダンスとして定義されます。電流がセンサーに対する入力となり、センサーの両端の電圧が測定対象のパラメータの値を表します。ロード・セル、RTD(測温抵抗体)、ポテンショメータなどは抵抗性のセンサーであり、それぞれ歪み、温度、角度の測定に使用されます。抵抗性のセンサーは基本的に周波数には依存せず、位相応答はありません。
一方で、多くのセンサーは周波数と位相によって伝達関数が変化するため、ACの励起信号が必要になります。その例としては、誘導性の近接センサーや容量性の湿度センサーなどが挙げられます。生体インピーダンスの測定を行えば、呼吸数、心拍数、体水分量など多数の生理学的パラメータに関する情報が得られます。この種の測定では、振幅や位相、またはその両方を使用して対象とするパラメータの値を判定します。
アプリケーションによっては、トランスデューサを使うことにより、テストの対象となるサンプルをセンサーとして機能させる場合もあります。例えば、色度計ではLEDによって液体試料に光を照射します。試料の光吸収率に応じてフォトダイオードが検知する光量が変化することから、液体試料の特性が明らかになります。具体例を挙げると、血管組織内の赤色光と赤外光の光吸収率の差を測定することによって、血中酸素濃度を算出することができます。また、超音波トランスデューサでは、超音波が気体を通過する際のドップラー周波数の変化に基づいて気体の流速を測定します。このようなシステムは、同期式復調を使用することで実装することが可能です。
図1は、センサーの出力信号を測定するために使用する同期式復調システムの概念図です。励起信号fXは、センサーによって振幅、位相またはその両方を、測定の対象とするパラメータの関数として変調するための搬送波の役割を果たします。信号は、位相検波器によってDCに変調し直される前に、増幅/フィルタリングされる場合があります。出力フィルタ(OF)は、測定の対象とするパラメータの周波数範囲まで信号の帯域幅を制限する役割を果たします。
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センサーの出力に加わるノイズの原因として、システム内部のノイズ源または外部とのカップリングが考えられます。多くの場合、低周波の1/fノイズは、センサーや測定用の電子部品の性能を阻害する要因になります。また、センサーの中には、低周波の環境ノイズによる干渉の影響を受けやすいものが数多く存在します。例えば、光の測定は背景光の影響を受けやすく、電磁センサーは電源からの放射の影響を受けやすいことがあります。同期式復調では、ノイズ源からの影響を回避するために励起周波数を自由に選択できます。これが、同期式復調の重要なメリットです。
逆に、システムの性能を最適化するうえでは、ノイズ源からの影響を抑えられる励起周波数を選択することが非常に重要です。一般的な出力フィルタによってノイズを許容可能なレベルまで低減できるように、ノイズフロアが低く、ノイズ源の周波数から十分に離れた励起周波数を選択しなければなりません。多くの場合、この種のシステムではセンサーの励起が最も電力を消費する処理です。センサーの感度と周波数の関係が既知であれば、感度が高くなる周波数でセンサーを励起することにより消費電力を抑えることが可能になります。
位相検波器の動作
アンチエイリアシング・フィルタ(AAF)と出力フィルタに関する要件を理解するには、まず位相検波器(PSD:Phase Sensitive Detector)について理解しておく必要があります。ここでは、励起信号を使用して入力信号に+1または-1を同期的に乗算するPSDについて考えます。この処理は、入力信号に対して同じ周波数の方形波を乗算するのと等価です。図2(a)は、入力信号がリファレンスに対して任意の相対位相を持つ方形波である場合を例にとり、入力信号、リファレンス、PSDの出力を時間領域の波形として示したものです。
入力信号とリファレンスが完全に同相である場合、相対位相は0°、スイッチの出力はDC、PSDの出力電圧は+1になります。相対位相が大きくなると、スイッチの出力はリファレンスの2倍の周波数の方形波になり、デューティサイクルと平均値は、相対位相が大きくなるに連れて直線的に減少していきます。相対位相が90°の場合、デューティサイクルは50%、平均値は0になります。相対位相が180°の場合には、PSDの出力電圧は-1になります。図2(b)は、方形波と正弦波の入力信号について、相対位相を0°~360°に掃引した場合のPSDの出力の平均値を示したものです。
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正弦波については、方形波の場合ほど直感的に理解できるわけではありません。しかし、次のようにして1項ずつ乗算を行い、和の成分と差の成分に分離することで計算を行うことができます。
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期待したとおり、PSDは基本周波数において入力信号の相対位相の余弦に比例する応答を生成しますが、一方で信号の各奇数次の高調波として現れる応答も生成します。出力フィルタがPSDの一部であると見なすと、信号の伝送パスは、リファレンス信号の奇数次高調波を中心とする一連のバンドパス・フィルタだと考えることができます。バンドパス・フィルタの帯域幅は、ローパス出力フィルタの帯域幅によって決まります。PSDの出力応答は、図3に示すようにそれらのバンドパス・フィルタの和として求まります。この応答において、DCに現れる部分は出力フィルタの通過帯域に含まれます。一方、リファレンス周波数の偶数次高調波として現れる部分は出力フィルタによって除去されます。
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出力フィルタの通過帯域に現れる高調波エイリアスの無限和が、この手法の欠点であると思われるかもしれませんが、実際には高調波の各項は低減係数によって減衰されます。また、さまざまな高調波に現れるノイズは二乗和の平方根として加算されるので、ノイズのエイリアスの影響も緩和されます。高調波エイリアスによるノイズの影響は、入力信号のノイズ・スペクトル密度が一定であると仮定して計算することができます。
基本周波数を中心とした伝送ウィンドウにおける統合ノイズをVnとすると、トータルのRMSノイズVTは次式のように表されます。
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ここで、以下に示す等比級数の和の公式を適用します。
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すると、高調波ウィンドウに起因するRMSノイズの増加分は、次のように計算できます。

以上の結果から、すべての高調波ウィンドウに起因するRMSノイズによって、総ノイズは11%、つまり1dBしか増加しないことがわかります。それでも、出力はバンドパス・フィルタの通過帯域内に存在する何らかの阻害要因の影響を受けやすく、PSDの前段のセンサーや電子部品による高調波歪みは、出力信号に誤差を引き起こす要因になります。高調波歪みが許容できないほど大きい場合には、アンチエイリアシング・フィルタによってそれを減衰します。次に示す例 を基に、アンチエイリアシング・フィルタと出力フィルタの要件について考察します。
LVDTを使用する設計の例
図4に示したのは、リニア可変差動トランス(LVDT:-Linear Variable Displacement Transformer)を利用して、位置情報を抽出する同期式復調システムの例です。LVDTは特殊な巻線方法を採用したトランス(変圧器)であり、測定位置に配置できる可動コアを備えています。1次側に励起信号を印加すると、コアの位置に比例して2次側の電圧が変化します。
LVDTにはさまざまな種類があり、位置の情報を抽出する方法も多種多様です。図4の回路では、4線式のLVDTを使用しています。LVDTの2つの2次側出力は、互いに電圧が逆方向になるように接続し、電圧差が得られるようになっています。LVDTのコアがヌルの位置にある場合、2次側の電圧は等しく、巻線の電圧差はゼロです。コアがヌルの位置から離れるに連れて、2次側巻線の電圧差は増加していきます。LVDTの出力電圧の符号は方向に基づいて変化します。この例のLVDTを使用すれば、フルスケールが±2.5mmという条件でコアの変位を測定できます。電圧の伝達関数は0.25であり、コアが中央から2.5mm離れているときに1次側に1Vの電圧を印加すると、250mVの差動出力が得られます。
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IC化された同期式復調器
図4の「ADA2200」はアナログ・デバイセズ(ADI)の製品であり 、同期式復調器をIC化したものです。このICは、アナログ領域で離散時間の信号処理を実行するために、独自の電荷共有技術を使用します。ADA2200の信号パスは、入力バッファ、アンチエイリアシング・フィルタとして機能するFIR(Finite Impulse Response)型のデシメーション・フィルタ、プログラマブルなIIR(Infinite Impulse Response)フィルタ、PSD、差動出力バッファで構成されます(図5)。励起信号とシステム・クロックの同期には、クロック発生回路が使われます。プログラマブルな機能の設定は、SPI(Serial Peripheral Interface)と互換性を持つインターフェースを介して行うことができます。
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マスター・クロックとしては、分解能が24ビットのシグマ・デルタ(ΣΔ)型A/Dコンバータ(ADC)「AD7192」によって生成される4.92MHzのクロックを使用します。ADA2200は、フィルタとPSDのクロッキングや、RCLKピンから出力する励起信号の生成に必要なすべての内部信号を生成します。マスター・クロックを1024分周することにより、CMOSスイッチを制御するための4.8kHzの信号を生成します。CMOSスイッチは、低ノイズの3.3Vの電源を基に、LVDTに対する方形波の励起信号を生成します。励起源として使用される3.3Vの電源は、ADCのリファレンス電圧としても使用されるため、電圧源にドリフトが生じたとしても測定精度が低下することはありません。LVDTは、フルスケールの変位に対してピークtoピークが1.6Vの電圧を出力します。
アンチエイリアシング・フィルタ
LVDTの出力とADA2200の入力の間にはRC回路を配置しています。この回路はLVDTの出力信号に適用されるローパス・フィルタとして機能するほか、復調器の出力信号を最大化するために必要な相対位相のシフトも行います。図2(b)で示したように、PSDの出力が最大になるのは相対位相が0°または180°の場合です。ADA2200は90°の位相制御が可能なので、相対位相に対する±90°のオフセットを実現することもできます。
復調周波数の奇数倍の周波数に存在する信号エネルギーは、出力フィルタの通過帯域に現れます。FIR型のデシメーション・フィルタはアンチエイリアシング・フィルタとして機能し、それらの周波数において50dB以上の減衰を実現します。
IIRフィルタは、必要に応じ、追加のフィルタまたは増幅器として使用します。IIRフィルタはPSDの前段にあるため、その位相応答はPSDの信号出力帯域幅に影響を及ぼします。したがって、フィルタの応答を設計する際には、その点を考慮する必要があります。
出力フィルタ
出力フィルタの通過帯域は、測定の対象となるパラメータの信号帯域幅に適合させつつ、システムの広帯域ノイズを抑えられるように選択しなければなりません。出力ローパス・フィルタ(LPF)は、PSD出力の偶数次に生成されるスプリアスも除去する必要があります。
図4の回路では、ΣΔ型ADCであるAD7192が内蔵するLPFを使用します。このLPFは、出力データレートの倍数にゼロ点を持つ伝達関数によって、sinc3またはsinc4の応答を示すようにプログラムすることができます。図6に、ADCの出力データレートに対して正規化したsinc3応答を示しました。
ADCの出力データレートを復調周波数と等しい値に設定すると、PSDの出力におけるスプリアスが除去されます。ADCの出力データレートはプログラム可能であり、帯域幅を設定可能な出力フィルタとして利用できます。設定可能な出力データレートfDATAは、4.8kHz/n(1≦n≦1023)です。つまり、ADCは復調器の出力を復調クロックのn周期分で平均化した値を出力します。マスター・クロックとADCのクロックは同期しているため、ADCの出力フィルタの応答において、ゼロ点は変調周波数の各高調波上に位置します。そのため、任意のnに対して出力スプリアスはすべて除去されます。

出力データレートがプログラマブルであることから、ノイズと帯域幅/セトリング時間との間では容易にトレードオフを実現可能です。出力フィルタのノイズ帯域幅は0.3×fDATA、3dB周波数は0.272×fDATA、セトリング時間は3/fDATAとなります。
4.8kHzという最も高い出力データレートにおいて、ADCが内蔵するデジタル・フィルタの3dB帯域幅は約1.3kHzです。復調器とADCの間のRCフィルタは、ADCに必要な帯域幅を最小限に抑えるために、その周波数までは比較的平坦な特性になっています。最大データレートがそれよりも低いシステムの場合は、それに比例してRCフィルタのコーナー周波数を引き下げます。
ノイズ性能
回路の出力ノイズは、ADCの出力データレートの関数になります。表1は、A/D変換で得られたデータのENOB(有効ビット数)とADCのサンプル・レートの関係を示したものです。ここでは、出力電圧のフルスケールを2.5Vとしています。ノイズ性能はLVDTのコアの位置には依存しません。
表1. ノイズ性能と帯域幅の関係
ADCのデータレート(SPS) | 出力帯域幅(Hz) | ENOB (rms) | ENOB (p-p) |
4800 | 1300 | 13.8 | 11.3 |
1200 | 325 | 14.9 | 12.3 |
300 | 80 | 15.8 | 13.2 |
75 | 20 | 16.2 | 13.5 |
ADA2200の出力ノイズが周波数に依存しない場合、ENOBは出力データレートが1/4低下するごとに1ビット増加すると考えられます。ただし、実際には出力データレートが低くなると、ENOBはそのペースでは増加しなくなります。出力データレートが低い場合、ADA2200の出力ドライバの1/fノイズがノイズフロアの大部分を占めるようになるからです。
直線性
直線性を測定するには、コアの変位が±2.0mmという条件で2点キャリブレーションを実行します。測定値から決まる勾配とオフセットによって、ベスト・フィット直線が得られます。次に、コアの変位が±2.5mmというフルスケールの条件で測定を行います。このようにして得られた測定データと先に求めた直線データとの差から、直線性誤差が求められます。
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回路の評価に使用したEシリーズのLVDTは、±2.5mmの変位に対して直線性誤差は±0.5%と規定されています。図4の回路の性能はLVDTの性能を活かせるものとなっています。
消費電力
この回路の消費電力はトータルで10.2mWです。LVDTの駆動用に6.6mW、それ以外の部分で3.6mWを消費します。回路のS/N比は、LVDTの励起信号の振幅を上げれば向上しますが、そうすると消費電力も増加します。逆に、LVDTの励起信号の振幅を下げれば消費電力は低減します。回路のS/N比を維持するためには、低消費電力のデュアル・オペアンプを使用してLVDTの出力信号を増幅します。
まとめ
多くのセンサー・アプリケーションは、シグナル・コンディショニングの面で共通する問題を抱えています。本稿で述べたように、その問題は同期式復調によって解決することができます。励起周波数が1MHz未満で、求められるダイナミック・レンジが80dB~100dBのシステムであれば、安価で消費電力の少ないアナログ回路と、デジタルによる最小限の後処理によって対応を図ることが可能です。その際には、PSDの動作と、センサーの出力で想定されるノイズについて理解することが、システムにおけるフィルタの要件を判断するうえでの鍵になります。
参考資料
M,L, Meade「Lock-In Amplifiers: Principles and Applications」Peter Peregrinus Ltd., 1983年
UG-702: Evaluation Board for the ADA2200 Synchronous Demodulator
UG-787: Software-Programmable Evaluation Board for the ADA2200 Synchronous Demodulator