TNJ-020:高速DACに現れた「これはなんだ?」のスプリアス
2016年7月4日公開
はじめに
某月某日、某代理店のNさんと超高速DACのAD9789の評価ボードで遊んでみました。といっても…。
「Nさん、『遊んでみました』だなんて、お仕事ですから不謹慎な表現でしたね。すいません」「あ、出てくるときに『今日はアナデバの石井さんとAD9789で遊ぶみたいね!』とMさんに言われてきましたよ(笑)」「それは笑っていいやら、笑えないやらですねぇ…(汗)」
高速DAC AD9789の実験開始
というやりとりから、AD9789の基本動作とソフトウェアの使い方を理解するために、二人で実験を開始しました。第一の目的はQuick Start Guideに記載のある120MHzのCWスペクトルを発生/測定するためです。
AD9789は超高速DACで、max 2400MHzのDACクロックで動作できます。QAMの信号処理(ベースバンド信号処理)も可能で、ケーブルTVの通信規格であるDOCSYS 3.0というものに適合しています。
「これはなんだ?」の変なスプリアス
測定のセットアップしたようすを図1に、波形のようすを図2にそれぞれ示します。図2は二つの大きなスペクトルが見えていますが、CENTER = 420MHz, SPAN = 1GHzということで、左側の大きなスペクトルは0HzのLOフィードスルー、右側の大きなスペクトルが本来の、AD9789から出ている120MHzのCW信号です。0Hzが管面上の左から8%の位置に見えて、100MHz/DIVとなりますので、20%の(2目盛り)のぴったり上に120MHzが見えています。
Quick Start Guide記載のとおりのスペクトルがだいたい得られたのですが、なぜか変な、小さいスプリアスが図3のように、120MHzの近傍に出ています。
- 120MHz キャリア上下の±76MHzのところに出ている
- 大体-50~60dBc(時変する)
- DAC発生周波数を変えても±76MHzのところに出るのは変わらない
- DAC自体のスプリアスであれば、発生周波数を変えれば出る周波数は変わってくるはず
- fDAC = 2GHz、 IC内の前段デジタル回路はその1/16で動作。76MHzはそれらと整数関係にはない
- DAC発生周波数を変えても同じ±76MHzであれば、出力自体がアナログ的にAMかFMで変調を受けている
ということで、外部からの混入だということは、目星はつけられました。しかし、「東京タワーの近くとはいえ、FM東京の80.0MHzではないしねえ…」と、某代理店のNさんと二人で「これはなんだろう?」と考えていました。そこへ通りかかったRFスペシャリストのHさんとKさん…
アナデバのRFスペシャリスト曰く
Kさん曰く「FM局によって送信アンテナの位置が異なるから受けるレベル(影響度)も変わってくるはず」なるほど…。
「76MHzかあ…」FM放送は滅多に聞かない私としては、思いを巡らせてみました。同じタイミングで「あ、インターFM!だ」とHさんと叫びました(笑)!
インターFMは滅多に聞かないし、今はDTS(Digital Tuning System…。この用語もすでに古いか…)なのでインターFMの周波数がいくつか記憶がありません。ネットでサーチしてみると「76.1MHz」。はっはぁー…。
つづいてHさん、Kさん、「スプリアスのところを拡大してどんな変調波が乗っているか見てみたら?」 たしかに…。ここまでは全域しか見ていないので、完全にこの視点が欠落していました(汗)。そうなんです。どんなスペクトル波形になっているか確認してみて、そのスペクトルで信号源が何かを突き止める…。これ、トラブルシュートで大事なんですよね…。
DAC生成(CW)周波数120MHz-76.1MHz = 43.9MHzのスプリアスのスペクトルを観測してみると、「おおおー!」たしかにFMの音声変調波のスペクトルが観測されます!スプリアスの中心周波数もこの計算で「ドンピシャ」です。
どんなスペクトル波形になっているか確認してみた
このAD9789を実験していた日は原因を見つけられたことに嬉々としていたため、この43.9MHzのスプリアスのスペクトルは写真撮影やらキャプチャしていませんでした。これも「完全にこの視点が欠落していた」というところでしょうか。
後日、76.1MHzのインターFMの放送信号波自体をスペアナで観測してみたようすを、図4に示します。これはスペアナ前段にプリアンプを接続し、簡易的なアンテナからの信号を観測したものです。無線通信技術が良く分からなかった若いころ、ある人が「このスペクトルはAMだな」と言っていたのを「なんで判るの?」と思ったものですが、色々と理解してくると「まあ、そりゃそうだ」というところに辿りつくわけなのでした。
FMは周波数変調波ですので、中心周波数の76.1MHzが常時出ているわけではありません。音声アナログ信号情報に応じて、周波数が変化するわけですから、このように「フニャフニャ」したようなスペクトルになるのでした。
このスペクトル変動のようすを見れば、「これはFM波だ」と断定できるわけで、それにより「どんなスペクトル波形になっているか確認してみる」というアプローチから、そのスペクトル形状から信号源が何かを突き止める…、というトラブルシュートができるわけなのですね。
インターFMはFM変調波ですので、RBW(Resolution Band-Width; スペアナの分解能帯域幅)を狭くして測定するとレベルが変動して見えることになります。それが先に記載したように「大体-50~60dBc(時変する)」の原因なわけです。
実験した当時は「東京タワー」。FM放送の今は?
当時は、東京スカイツリーは開業(運用)前だったので、送信局は東京タワーというわけでした。といってもWikipediaによると、FM局のうちスカイツリーに移動したのはNHK-FMやJ-WAVEで、インターFMは今でも東京タワーからの送出になっているようですね。
「これはなんだ?」の原因の考察
さて、ひきつづいてこの「キャリアを中心とした上下にFM放送波の周波数に相当するオフセットでスプリアスが見える」というしくみについて考察してみたいと思います。
ここでは二つのしくみが考えられると思います。ひとつはコモンモード信号(ノイズ)によるもの、もうひとつは磁界ピックアップによるものです。
コモンモード電圧とは何モノ?
ひとつめのしくみはインターFMの76.1MHzの東京タワーから直撃の強電界がコモンモード電圧として重畳し、これがコモンモード・ノーマルモード変換により、回路側に影響をあたえ、DAC生成周波数120MHzに(インターFMのキャリアが)変調を与えていた、という考えです。
この「コモンモード電圧」とは、図5に示すように考えることができます。
ここでは二つの回路基板(もしくはブロック)があるものとして記載しています。二つのブロックのグラウンド間は、一応は接続されていますが、強固なものではなく、抵抗成分やら、インダクタンス成分があるモデルです。たとえば細いケーブルで二つのブロックが接続されているようであれば、それこそその細いケーブルがインダクタンスとなり、二つのブロック間を接続していることになります。
これにより二つのグラウンド間に電圧差が生じそうだということは予想できると思います。ここにさらに外部からの影響により、それぞれのグラウンドに異なる電圧が加わり、それぞれ異なるかたちで「揺すぶられた」と考えてみましょう。そうするとそれにより(予想どおり)二つのグラウンド内で電位差が生じることになります。ここでたとえばブロックB内部は強固な一枚グラウンド(という言い方も変ですが)となっているので、B内部の一枚グラウンドはそのグラウンド電位を基準として動作するので、内部の電圧関係が変わることはありません。

図5. コモンモード電圧とは異なるブロック間のグラウンド間に生じる電位差
このようすは、図6のように考えることができます。この図はコモンモード電圧のようすをイメージ化してみたものです。ブロックAとブロックBは波間にゆれるふたつの船として考えることができます。ひとつの船をブロックBだとして考えてみましょう。この船の床面は当然ながら強固な平板です。つまりこの床面の上に立つ二人の人の背の高さを比較しても正しく観測できることになります。
この床が図5での「ブロックB内部の強固な一枚グラウンド」であり、その上でこのグラウンド電位を基準として動作する回路が二人の人の背の高さを比較していることに相当します。つまり内部の電圧関係が変わることはありません。

図6. コモンモード電圧をイメージで考える
しかしふたつの船の間は常時波で揺れ動いています。相互の床面(つまりグラウンド)の差は一定ではありません。これがコモンモード電圧と同じイメージとして表すことができるのです。
この異なる船の間での人の背の高さを比較しても、波で揺れ動いているため、適切に観測することができないことも分かると思います。
コモンモードが影響を与えるしくみ
「しかしコモンモード電圧がどのように影響を与えるのか?」については、これまた今一つイメージが難しいかもしれません。「ひとつのブロック内では強固なグラウンド」ですから。
そんなわけなのですが、ここで図7のようなシステムで考え直してみましょう。この図7 では、図5のブロックAを「信号源側」、ブロックBを「負荷回路側」として表しています。このひとつのブロック内は強固なグラウンドなわけですが、2つのブロック間は図5と同じく、同相モード電圧VCが加わっています。負荷回路側の受けのところは、インターフェース(アナログ・フロントエンド)です。
この図7で同相モード電圧VCはケーブルや中間回路の内部抵抗R1と、負荷回路の負荷抵抗R2とで、単純な回路計算のとおり分圧されて、それにより負荷回路側の受けで電圧として(本来は検出されるはずのない)同相モード電圧が「信号」として検出されてしまうのです。このようにモデル化して考えてみれば、単純な、あたりまえな振る舞いと考えることができるのですね。
この振る舞いのことを「同相モードからノーマルモードへのモード変換」と呼びます。その他にもモード変換が発生するしくみ、ケースもありますので注意してください。
もし同一の基板(システム)内で強固なグラウンドになっていない場合は、同様に同一基板内で同相モード電圧が生じて、全く同じしくみで同相モード電圧がノイズとして観測されてしまうことになります。
ところで一般的に回路内で伝達される信号のことを、コモンモードとは違うという意図をこめて「ノーマルモード」と呼ぶことがあります。そういえば私も駆け出しのころ、「(同相モード電圧のことである)コモンモード・ノイズと(ノーマルモード電圧のことである)ノルマルモード・ノイズというものがある」と、元大学教授、現在イトケン研究所の伊藤健一先生の名著、日刊工業新聞社刊の「アース・シリーズ」という書籍(図8)を読んで、それらの振る舞いの意味が分からなかったことを思い出しました…。

図7. コモンモード・ノーマルモード変換によりコモンモード電圧が回路側に影響を与えてしまうしくみ

図8. 元大学教授、現在イトケン研究所の伊藤健一先生のアナログ回路で
一番大切なグラウンド=アースに関する名著「アース・シリーズ」という書籍を15冊セットで入手。
伊藤先生は自分の大学の別学科の先生であり、学生のときに先生の授業をわざわざ他学科受講して拝聴させていただいた。
これらの「アース・シリーズ」は技術者駆け出しのころ数冊購入したものだが、
後輩に「参考に読んでみたら」と貸したところ、1冊も帰ってこなかった(涙)。
一般的に貸した本は帰ってこないので、貸さないほうが無難と思われる(本人に購入してもらうのがベスト)。
なおこの書籍シリーズ自体はすでに絶版のようだ。
磁界ピックアップが影響を与えるしくみ
もうひとつのしくみ、磁界ピックアップについては、AD9789の評価ボードが多層基板であり、内層はグラウンドになっていますので、ここに磁界が通り抜けているということは(ゼロではありませんが)考えづらいと思われます。
それでも可能性はあるので、説明してみます。この「磁界ピックアップ」とは、高校のころ物理の授業でやった「ファラデーの電磁誘導の法則」のとおり、基板のパターンで出来るループの部分に変動磁界が通ることで、そのパターンに起電力が生じるものです(図9)。この起電力が回路内に影響を与えてしまうということが考えられるわけです。
ピックアップされた信号がキャリア左右に観測される理由
混入していた信号は76.1MHzでありました。しかし、この(本来観測できたはずの)76.1MHz自体ではなく、なぜ120MHzの差分量として76.1MHzが見えたのでしょうか。ちょっと考えてみると「なんだか不思議だな?」と思うのではないでしょうか。
これは回路の非線形性により生じているものなのです。このしくみを説明してみましょう。いま、ふたつの信号
があったとします。 s1(t)は120MHzのキャリア、s2(t)はインターFMの放送波だと思ってください。s2(t)は本来FMの成分も式中で示すべきかもしれませんが、簡単のためにそれは抜いてあります。このふたつの信号が利得Gをもつ増幅系
に加わったとして考えると、これではω1±ω2の周波数成分というのは生じるはずもありません。これは系が「線形(リニア)」だからなわけです。
一方で以下のような増幅系を考えてみます。
これは「非線形」な増幅系というもので、増幅により生じる歪みの特性を多項式で表わしたものです。当然G1≫G2,G3です。またG2,G3<0となる場合もあります。実際は非線形性を表すうえでは、G3はマイナスなのが適切でしょう。たとえばこの2次の項を考えてみると、中学校の数学の授業どおり、
と展開できます。ここでs1s2の項がありますね。これに先のcosの式を代入してみると、
と(積和の公式で)計算できることになります。なんとこれによりω1+ω2の周波数成分と、ω1-ω2の周波数成分が出来ているではありませんか!
これが120MHz ± 76MHzの「これはなんだ?」のスペクトルとして見えていたのです。つまり系に内在する非線形性(つまり歪み)が、この「これはなんだ?」のスペクトルを製造(?)していたわけなのですね。
コモンモードのノイズを軽減させる対策方法
説明してきたコモンモードの混入対策としては、系(たとえば電源ライン、同軸ケーブルなど)にコモンモードチョークを入れることでしょう。図10はオシロスコープのプローブにこの対策を施したようすです。このようにケーブルの外皮、芯線、両方を一緒にコモンモードチョークに巻き付けることで、コモンモードのノイズを軽減させることができます。なお低い周波数(たとえば50Hz/60Hz)ではチョークで生じるリアクタンスが十分ではありませんので、阻止量は少なくなってしまいます。
また、電波暗室を使うとか、「システムの特性確認をするなら、弱電界地域まで行って確認してきますか!」という方法もありますね。
ということで…
また余談ではありますが、120MHzのスペクトルの±76.1MHzのもう少し外側にも、さらに小さいスプリアスが見えていました。これらはNHKかFM東京のキャリアでしょう。
ということで、東京タワーを直近とするオフィスでのエンジニア同士の会話でありました…(図11、図12)。

(天気の良い日に上層までキレイに見えるようす)
著者について
デジタル回路(FPGAやASIC)からアナログ、高周波回路まで多...
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