超広帯域に対応するデジタル・プリディストーション、この技術をケーブル・システムに実装するメリットと課題を解き明かす

はじめに

米国でケーブル・システム(ケーブル・テレビ)が登場したのは 1950 年代初頭のことです。その後、ケーブル・システムに関連する技術や信号/データ配信の方法は急速に変化しました。その間も、米国では、データ配信経路としてケーブル・システムは重要な役割を常に維持し続けてきました。新しい技術が登場した場合でも、既存のケーブル・ネットワークの上にそれらが積み重ねられる形で利用されます。本稿では、そうした進化の 1 つの側面であるパワー・アンプ(以下、PA)のデジタル・プリディストーション(以下、DPD)について解説します。DPD は、携帯電話システムのネットワークに携わる人々にとってはなじみ深い技術です。それをケーブル・システムに適用することにより、電力効率と性能の面で多大なメリットを得ることができます。ただし、それにはいくつかの課題も伴います。本稿では、そうした課題の概要と解決策について説明します。

要件の把握

PA を非線形領域で動作させると、出力に歪みが生じます。その歪みは、帯域内におけるシステムの性能に影響を及ぼすだけでなく、不要な信号が隣接するチャンネルに漏れ出すという結果を招く恐れもあります。このことは、携帯電話システムでは特に大きな問題になるため、隣接チャンネル漏洩電力比(ACLR: Adjacent Channel Leakage Ratio)という指標で厳密に制御されています。代表的な制御方法としては、PA に到達する前に信号にデジタル的な整形を施して、PA の非線形性をキャンセルするということが行われています。この手法が DPD と呼ばれるものです。

ケーブル・システムの環境は非常に特殊です。その特徴の 1 つは、閉じた環境だと見なすことができる点です。つまり、ケーブル・システム内で生じた事象が外部に影響を及ぼすことはありません。使用される周波数帯全体を事業者が保有しており、その中で必要な制御を行います。したがって、帯域外の歪みは大きな問題にはなりません。その一方で、帯域内の歪みは非常に重要な問題になります。サービス・プロバイダは、データのスループットを最大限活用できるように、帯域内の信号伝送の質を最高のレベルに維持する必要があります。そのための方法の1 つが、ケーブル・システムの PA を完全に線形領域内で動作させることです。ただし、この動作モードでは、電力効率が非常に低くなります。つまり、大きな代償が伴うということです。

Figure 1
図 1. ケーブル・システムで使用されるPAドライバの電力効率

F図 1 に、標準的なケーブル・システムの概要を示しました。この例の場合、システムの消費電力は 80 W 近くにも達します。ところが、信号出力はわずか 2.8 W しかありません。PA としては、非常に効率の低いクラス A のアーキテクチャを採用した製品を使用しています。瞬時ピーク効率を計算すると、最大でも 50 % しかありません(負荷が誘導性で、信号のエンベロープが最大の場合)。PA が完全に線形領域で動作する場合、ケーブルでは信号のピーク対平均値の比が非常に高くなります(一般に 14 dB)。したがって、信号のピークにおいても信号の圧縮が生じないことを保証するには、PA は圧縮が始まるレベルよりも、平均で 14 dB 下のレベルで動作しなければならないことになります。このバックオフ(レベルの引き下げ)と PA の動作効率の間には直接的な相関関係があります。ケーブル・システムの信号のフルレンジに対応するために PA を 14 dB バックオフすると、動作効率は 10-14/10だけ低下します。つまり、動作効率は理論的な最大値である 50 % から、10-14/10 × 50 % = 2 % にまで低下するということです(図 2)。

Figure 2
図 2. バックオフと効率の関係。ピーク対平均値の比が高いことから、PA のバックオフが必要になり、効率が大幅に低下します。

電力の効率は重大な問題です。電力の損失には、コスト的な意味合いでの問題があります。また、ケーブル・システム内の乏しいリソースを使い切ってしまうことも、それと同じくらい重要な問題です。ケーブル事業者は、より優れた機能やサービスを追加するために、より高い処理能力を必要とします。ただ、その処理に使われる電力は、それまでの電力の割当量によって制限される可能性があります。PA の効率が低いために無駄になる電力を回収することができれば、それを新たな機能に割り当てることができます。

PA の効率の低さを解決するための方法の 1 つが DPD です。この方法は、携帯電話業界全体にわたって広く使われています。DPD を利用すれば、PA をより高い効率で動作させることができます。その際、PA は非線形領域で動作することになります。DPD では、PA に信号が送られる前に、デジタル領域で歪みを補正します。つまり、DPD は、PA に到達する前にデータを整形し、PA によって生成される歪みを打ち消すことで、PA の線形範囲を拡大しようというものです(図 3)。拡大された線形範囲を利用することで、より質の高い処理が可能になります。その結果、変調誤差比(MER: Modulation Error Rates)1を下げられるほか、PA をより低いバイアス設定で動作させて消費電力を抑えることも可能になります。上述したように、DPD は、携帯電話システムのインフラで広く採用されています。ただ、これをケーブル・システムの環境に実装しようとすると、特異で難易度の高い問題に直面することになります。

Figure 3
図 3. DPDの概要

図 4 に示すように、ケーブル・システムの実際の動作効率は約 3.5 % です。DPD を実装することで、システムの消費電力は 80 W から 61 W に低下します。19 W 減るわけですから 24 % もの削減効果が得られるということです。それぞれ 17.5 W だった各 PA の消費電力は 12.8 W まで低下します。

 

Figure 4
図 4. DPD の実装による消費電力の削減効果

実装上の課題

ここまでに説明したように、DPD によって大きな効果が得られることは明らかです。ただ、ケーブル・システムに DPD を実装しようとすると、多くの特異な課題に直面することになります。そうした技術的な課題に、リソースに関する制約の範囲内で対処する必要があります。例えば、ソリューションについては、それ自体が電力効率の高いものでなければなりません。削減した分の電力が、ソリューションで消費されてしまうのであれば、P A の効率を最適化しても意味がないからです。同様に、デジタル処理用のリソースは、現状の FPGA のアーキテクチャで効率的に実現できるものでなければなりません。ハードウェアやアーキテクチャの大幅な変更が必要で、非常に大規模かつ複雑で非標準的なアルゴリズムは、まず採用できないと考えられます。

非常に広い帯域幅

ケーブル・システムと携帯電話システムの最大の相違点は、おそらく動作帯域幅です。ケーブル・システムでは、約 1.2 GHz の帯域幅を対象として線形化を行わなければなりません。帯域幅が広いだけでなく、DC からわずか 5 4 MHz のところから対象とするスペクトルが始まり、信号帯域幅の値がチャンネルの中心周波数の値よりも大きいため、問題はさらに複雑になります。消費電力の削減効果は、PA を非線形領域で動作させることによって得られる、ということを認識しておかなければなりません。確かに、非線形領域で動作させることによって効率は向上しますが、その代償として非線形な成分が生成されます。DPD では、特に信号帯域内の成分に注目し、PA によって生成される非線形性をキャンセルする必要があります。そのことが、ケーブル・システムに固有の課題をもたらします。

Figure 5

 

図 5. 従来の狭帯域システムにおける高調波歪み

図 5 は、従来の狭帯域(狭帯域の定義については後述)システムで広帯域の高調波歪み(以下、HD)が発生する様子を示したものです。これらの HD は、アップコンバージョン後のベースバンド信号が、非線形の増幅段を通過する際に発生することが予想されるものです。一般に、非線形な PA の出力は、以下に示すように、ボルテラ級数のようなべき級数式で表されます。

Equation 1

これは、メモリ効果を含むテイラー級数を一般化したものとして理解することができます。ここで最も重要な点は、各非線形項(k = 1, 2, ... , K)によって、複数の HD 成分が生成されるという事実です。例えば、5 次の項には、1 次 HD における 5 次項、3 次 HD における 5 次項、5 次HD における 5 次項の 3 つがあります。HD の帯域幅は、その次数倍であることにも注意してください。例えば、3 次の項の帯域幅は、スティミュラス(刺激信号)の帯域幅の 3 倍になります。

ケーブル・システムに DPD を適用するうえでは、信号帯域幅の広さよりも、スペクトルにおけるその位置(DC からわずか 54 MHz)の方が大きな問題になります。HD はどのような非線形システムでも生じます。ただ、ケーブル・システムの DPD で注目すべきは、帯域内の HD です。図 5 を見ると、従来の狭帯域システムの場合、注目すべきは 3 次と 5 次の HD であることがわかります。他にも HD は生成されていますが、それらは対象帯域外に存在しており、従来のフィルタで除去できます。広帯域であるか狭帯域であるかは、以下に示す比帯域によって定義することができます。

Equation 2

ここで、fnは最高周波数、flは最低周波数、fcは中心周波数です。比帯域が 1 よりも大きい場合、そのアプリケーションは広帯域であると見なすことができます。多くの携帯電話システムでは、比帯域は 0.5 以下です。そのHD は図 6 のような性質を示します。

Figure 6

 

図 6. 狭帯域のシステムで生じる HD。狭帯域の場合は問題が簡素化され、考慮しなければならないのは、1次 HD 周辺の成分だけになります。

このような狭帯域システムでは、DPD によって 1 次 H D 周辺の帯域内歪みだけをキャンセルすれば良いことになります。それ以外の成分は、すべてバンドパス・フィルタで除去できるからです。また、偶数次の成分はいずれも帯域内には含まれません。そのため、DPD で処理しなければならないのは奇数次の項だけです。

ケーブル・システムでは、fnが約 1200 MHz、flが約 5 0 MHz、fcが約 575 MHz です。したがって比帯域は 2 になります。補正が必要な HD の最小次数は次の式によって求められます。

Equation 3

ここで Kminは、補正が必要な HD の最小次数です。実際に数値を代入すると、50 MHz × 2 = 100 MHz となり、1200 MHz よりも低くなります。そのため、2 次 H D は完全に動作帯域内にあることから補正が必要です。ケーブル・システムの PA を非常に安全な線形領域の範囲外で動作させる場合、その結果として生じる HD は図 7 のようになります。

Figure 7
図 7. 広帯域のケーブル・システムにおける HD の影響

奇数次の HD だけが問題となる携帯電話システムとは対照的に、ケーブル・システムでは、偶数次と奇数次の両方の HD が帯域内に含まれます。それらにより、複数のHD が重なり合う歪みの領域が生成されます。このことは重大な問題につながります。狭帯域の場合の単純な理論を適用できないアルゴリズムが必要になるため、DPD のソリューションは間違いなく複雑で高度なものになるということです。すなわち、HD の各次数の項を考慮した DPD ソリューションが必要になります。

狭帯域のシステムでは、偶数次の項は無視できます。また、奇数次の項は対象となる帯域内にそれぞれ 1 つの項だけを生成します。ケーブル・システムに適用する DPD では、奇数次と偶数次の両方の HD を考慮する必要があります。それだけでなく、帯域内に各次の HD が複数重なり合う形で歪みが生成される可能性を考慮しなければなりません。

HD の補正処理の適用

従来の狭帯域向け DPD ソリューションでは、複素ベースバンドで処理を行います。DPD による補正では、主に、搬送波を中心として対称的に生じる HD を対象とします。広帯域のケーブル・システムでは、1 次 HD の周辺に位置する項では対称性が維持されますが、高次の HD 成分では対称性は維持されません。

Figure 8
図 8. 狭帯域/広帯域向けの DPD。広帯域向け DPD の複素ベースバンド処理では、周波数オフセットを加える必要があります。

図 8 に示すように、従来の狭帯域向け DPD は複素ベースバンドで処理が行われます。1 次 HD 成分だけが帯域内に含まれるので、そのベースバンド表現は直接 RF に変換されます。一方、広帯域のケーブル・システムに適用する DPD では、アップコンバージョン後の広帯域表現が RF スペクトルに正しく配置されるように、高次のHD に対して周波数オフセットを加える必要があります。

ループ帯域幅の制約

クローズドループの DPD システムには、伝送パスと観測パスがあります。理想化されたモデルでは、どちらのパスにも帯域幅についての制約はありません。つまり、どちらもすべての DPD 項を通過させるに十分な広い帯域幅に対応します。結果として、帯域内と帯域外の両方の項が通過するということです。

Figure 9
図 9. DPDの実装例。帯域幅の制約がない理想的な状態に対応しています。

図 9 は、DPD の実装の概要を示したものです。理想的な状況では、デジタル・アップコンバータ(以下、DUC)から DPD、D/A コンバータ(DAC)、PA までのパスに帯域幅に関する制約はありません。また、観測パス上のA/D コンバータ(ADC)は、帯域幅全体を対象としてA/D 変換を実施します(この図では帯域幅の2 倍の範囲までの様子を示しています。携帯電話システムでは、帯域幅の 3 ~ 5 倍の範囲を考慮すべきケースもあります)。理想的な実装では、DPD によって帯域内と帯域外の両方の項が生成され、PA による歪みが完全にキャンセルされます。正確にキャンセルを行うために、対象となる信号帯域幅のはるかに外側に項が生成されることに注意してください。

実際の実装では、信号パスの帯域幅に制約があります。そのため、DPD の性能は理想的な実装の場合と同じにはなりません。

Figure 10
図 10. 信号パスの帯域幅に制約がある場合の例。その制約により帯域外の項に制限が加わり、DPD の性能が低下します。

ケーブル・システムでは、FPGA と DAC の間の JESD リンク、DAC のアンチイメージング・フィルタ、PA の入力マッチングなど、さまざまな要因によって帯域幅が制限されます。この制約は、帯域外の性能に最も顕著な影響を及ぼします。図 10 に示したシミュレーション結果からわかるように、DPD によって帯域外の歪みを補正することはできません。ケーブル・システムでは、帯域外の歪みが帯域内の性能を低下させる要因になります。つまり、帯域外の歪みは特に重要な問題になる可能性があります。信号パスの帯域幅に存在する制約は、帯域内の性能に影響を及ぼすケースがあるということです。

ケーブル・システムの環境は、事業者が周波数帯全体を保有するという点において特殊です。対象とする帯域(5 4 MHz ~ 1218 MHz)外への放射は、誰も使用しない周波数領域に生じます。また、ケーブルにおける損失によって、高周波成分には必ず減衰が生じます。観測パスで監視する必要があるのは、帯域内の事象についてのみです。

ここには、区別すべき重要なポイントがあります。帯域外に存在する放射の成分は処理の対象外です。一方、帯域外に生成され、一部が帯域内にあるものは処理の対象になります。つまり、帯域外の放射成分は処理の対象外ですが、それを生成する項は処理の対象になるということです。これに対応する実装は、観測帯域幅の要件が、一般に動作帯域の 3 ~ 5 倍になる携帯電話システムの実装とは全く異なります。ケーブル・システムで重要なのは、帯域内の性能です。帯域内の性能に対する影響だけに着目し、帯域外の項について検討しなければなりません。

ケーブル・システム向けの DPD では、帯域内成分の補正のみが必要です。DOCSIS 3の場合、対象とすべき周波数範囲は 54 MHz ~ 1218 MHzです。DPD によって、キャンセルに使用される 2 次、3 次、......の項が生成されます。ケーブル・システムの帯域幅の範囲だけを補正すれば良いわけですが、DPD のアクチュエータの中でこれらの項はそれよりも広い帯域幅にわたります(例えば、3 次の項は 3 × 1218 MHz の範囲にわたります)。従来の DPD で使用されている適応型のアルゴリズムの安定性を維持するには、帯域外の項をループによって維持する必要があります。DPD の項をフィルタリングすると、適応型のアルゴリズムが不安定になる傾向があります。ケーブル・システムには帯域幅の面で制約があるため、従来のアルゴリズムでは良い結果が得られない場合があります。

ケーブルのチルト補償と DPD

他のあらゆる伝送媒体と同様に、ケーブルでは減衰が生じます。一般に、その減衰は、ケーブルの品質、ケーブルの敷設距離、伝送周波数の関数として扱うことができます。ケーブルの受信側で、動作周波数帯の全体にわたって比較的均一な強度で信号を受信するには、送信側でプリエンファシス(チルト)を加える必要があります。チルトは、ケーブルの逆伝達関数だと考えることができます。それにより、伝送周波数に比例するプリエンファシス(整形)が適用されます。

整形は、PA の直前に配置されるチルト・コンペンセータによって行われます。チルト・コンペンセータとは、低消費電力で受動型のアナログ・イコライザのことです。高周波の信号はほとんど(あるいは全く)減衰させることなく、低周波の信号に対して最大限の減衰を適用します。チルト・コンペンセータの出力では、動作周波数帯の範囲内で信号レベルに最大 22 dB の差が生じます。

Figure 11
図 11. チルト・コンペンセータの概要

チルト・コンペンセータは信号の整形を行います。その整形のプロファイルは、信号が PA を通過して処理される間、維持されます。従来の DPD の実装では、その整形が問題だと見なされて補正が試みられます。DPD は非線形のイコライザであるためです。チルトの逆の処理を観測パスに加えれば、その影響が緩和されるように思われるかもしれません。しかし、それは正しくありません。PA は非線形であり、可換性は成立しません。このことを式で表すと、以下のようになります。

Equation 4
この式において、PA はパワー・アンプのモデル、T はチルト・コンペンセータのモデルを表しています。

最適な処理を行うには、DPD 用の処理ブロックで、P A の入力における信号の状態を明確に把握する必要があります。ケーブル・システム向けの DPD では、チルト補償を行います。また、DPD のアルゴリズム向けに PA のモデル化が必要になります。このことから、非常に特異で難易度の高い課題が生じます。それは、イコライズによってチルトがキャンセルされない、低コストで安定したソリューションが必要になるというものです。アナログ・デバイセズは、この問題に対する革新的なソリューションを考案済みです。本稿ではその詳細については触れませんが、将来の出版物で内容を公開する予定です。

PA 向けのアーキテクチャと DPD

図 4 に示したように、一般的なケーブル・システムでは、1 つの DAC の出力が 4 つの PA に分配されます。ここで、消費電力を最大限に削減するには、DPD をすべての PA に実装する必要があります。そのための 1 つのソリューションとしては、4 つの独立した DPD のブロックと DAC のブロックを実装する方法が考えられます。確かにこのソリューションは正しく機能しますが、効率は低下し、システムの実装コストが増加します。ハードウェアを追加することによって、消費電力とコストが増加するということです。

(製造時の)マッチングによって類似の性質を持つように製造されているとはいえ、すべての PA が全く同じ特性を備えるというわけではありません。多少なりとも差異があるだけでなく、温度や電源の変動、経年劣化によって、そうした差異が大きくなっていく可能性もあります。それでも、次のような方法を適用することで、大きな効果を得ることができます。まず、1 つの PA をマスターとして使用し、それに対して最適化された DPD を開発します。そして、それを他の PA にも適用します。これにより、図 12 のシミュレーション結果に示すような性能を達成することができます。

左側の曲線は、DPD を適用しない場合の PA の性能を表しています。非線形の動作モードによって歪みが生じ、それが 37 dBc ~ 42 dBc という MER1に現れています。クローズドループの DPD は、マスターの PA の出力を観測することによって適用されます。グラフの右側にある緑色の曲線は、それによって向上した性能を表しています。DPD によって PA の歪みが補正され、全体的な性能が向上しています。結果として、MER は 65 dBc ~ 6 7 dBc となっています。中央にあるその他の曲線は、スレーブの PA(マスターの PA に基づいて補正される PA)の性能です。このグラフからわかるように、1 つの P A だけを観測してクローズドループの DPD を実装することで、すべての PA の性能が向上します。しかし、スレーブの PA の性能曲線には、やはり適切でない部分があります。スレーブの PA の性能範囲は 38 dBc ~ 67 dBc となっています。ただ、範囲が広いこと自体は問題ではありません。その範囲内で、許容される閾値(ケーブルでは一般的に 45 dBc)を下回る部分があることが問題なのです。

Figure 12
図 12. 複数の PA に対して単一の DPD を適用する例。そのシミュレーション結果も併せて示しています。

ケーブル・システムの特異なアーキテクチャは、DPD についてさらなる課題をもたらします。最適な性能を得るには、クローズドループの DPD を実装する必要があります。しかし、従来の考え方をそのままケーブル・システムに適用すると、各 PA のパスにハードウェアを追加しなければならなくなります。最適なソリューションを実現するには、ハードウェアのコストを追加することなく、クローズドループの DPD を各 PA に適用する必要があります。

SMART アルゴリズムによる問題の解決

上述したように、ケーブル・システム向け DPD の設計には、特異で難易度の高い課題が伴います。課題の解決に当たり、DPD のメリットを損なわないようにするためには、消費電力やハードウェアに関する制約の範囲内で対応しなければなりません。DAC や FPGA を追加したために消費電力が増加してしまうのでは、PA の消費電力を削減する価値が薄れてしまいます。同様に、消費電力の削減効果がハードウェアのコストに見合っていなければ、DPD を適用する意味がありません。アナログ・デバイセズは、高性能のアナログ信号処理と高度なアルゴリズムを組み合わせることによって、この課題を解決しています。

Figure 13
図 13. ケーブル・システム向け DPD の実装例。先進的なADC/DAC と SMART アルゴリズムを活用しています。

図 13 に示したのは、アナログ・デバイセズによる実装例です。このソリューションは、3 つの主要な要素で構成されています。1 つは、先進的な ADC/DAC とクロック IC です。もう 1 つは、シグナル・チェーンの包括的な監視/制御をサポートするアーキテクチャです。最後の1 つは、最適な性能を得るために既存の知識を活用可能な DPD 向けの先進的なアルゴリズム(SMART アルゴリズム)です。

これらのうち、ソリューションの中心にあるのは SMART アルゴリズムです。同アルゴリズムは、処理する信号に関する広範な知識と信号パスの伝達関数を使用し、出力を整形すると同時に、信号パスのいくつかの側面に対する動的な制御によって調整を施します。この動的なシステム・ソリューションにより、消費電力を大幅に削減することができます。また、消費電力の削減効果と性能のトレードオフを行うことも可能です。SMART アルゴリズムにより、システムの動作に対して求められる MER1の性能レベルをユーザーが定義すると、その性能がすべての出力で達成されるようにシステムのチューニングが実施されます。また、このアルゴリズムを利用すれば、求められる性能を確実に達成しつつ、各 PA の消費電力を最適な値に維持することができます。つまり、いずれの PA も、目標となる性能を達成するために必要な量を超える電力を浪費することはありません。

以上、このソリューションの概要について説明しましたが、SMART アルゴリズムはアナログ・デバイセズのIP(Intellectual Property)であるため、本稿では詳細な説明は割愛します。同アルゴリズムは、システムのパスについて学習を実施します。そのうえで、最適な結果を得るために、パスを介して伝送される信号の性質とパスそのものの特性を変更するように作用します。ここで言う最適な結果とは、電力に対する要件を引き下げつつ、MERの品質を維持できるようにすることです。

パスの特性と伝送信号の性質は、絶えず変化します。SMART アルゴリズムは、それに動的に適応するための自己学習能力を備えています。しかも、ストリームの伝送を中断したり、信号を変形させたりすることなく、システムの動作中に適応することが可能です。

まとめ

ケーブル・システムの環境は、今後も、データ・サービスを提供するための重要なインフラとしての役割を担います。技術の進化に伴い、周波数帯と電力の効率に対する要求も引き続き高まり続けるはずです。次世代の開発では、より高次の変調方式やより優れた電力効率が求められるようになるでしょう。そうした改良は、システムの性能(MER)に影響を及ぼすことなく実施する必要があります。DPD は、そのための手段の1 つです。ただし、ケーブル・システムに DPD を実装しようとすると、特異で難易度の高い課題が立ちはだかることになります。アナログ・デバイセズは、そのような課題を解決するトータル・システム・ソリューションを開発しました。その包括的なソリューションは、IC(DAC、ADC、クロック IC)、PA の制御アーキテクチャ、高度なアリゴリズムによって構成されています。これらの組み合わせにより、ユーザーには適応型のソリューションが提供されることになります。ユーザーは、大きな妥協を強いられることなく、消費電力と性能の間で容易にトレードオフを実施できます。また、このソフトウェア定義型のソリューションであれば、全二重(FD: Full Duplex)通信とエンベロープ・トラッキング(ET: Envelope Tracking)への対応が期待される次世代のケーブル・システム技術にも難なく移行することが可能です。

(注1) MER(変調誤差比)は、変調品質の尺度である。目標とするシンボル・ベクトルと送信されたシンボル・ベクトルの差を表す。MER = 10Log([平均信号電力]/[平均誤差電力])によって計算される。信号空間におけるシンボル配置の精度の尺度だと見なすことができる。

著者

Patrick Pratt

Patrick Pratt

Patrick Pratt は、アナログ・デバイセズのシニア・リサーチ・サイエンティストです。ケーブル・システム向け DPD のアルゴリズム開発を統括しています。30 年以上にわたり、民間組織と学術機関の両方でアルゴリズムの研究/開発に携わってきました。コーク工科大学で電子工学の博士号を取得しています。

Frank Kearney

Frank Kearney

Frank Kearney は、アイルランド リムリックにあるアナログ・デバイセズの通信システム・エンジニアリング・チームでアルゴリズム開発マネージャを務めています。1988年に大学を卒業し以来、アナログ・デバイセズに勤務しています。最近まで、中国のアジア太平洋地域担当システム・エンジニアリング・チームでシニア・アプリケーション・マネージャを務めていました。現在は、ユニバーシティ・カレッジ・ダブリンで博士号の取得にも取り組んでいます。