概要
地球規模でサステナビリティを高めるには、環境のリアルタイム監視を可能にする技術が不可欠です。環境に関する何らかの問題が発生した際、生態系への影響を最小限に抑えるには、試料を素早く分析して原因を特定できるようにすることが重要です。このような目標に向けて、現在はユビキタスかつリアルタイムなセンシング技術を実現するための動きが活発化しています。なかでも、液体の分析を行うためのセンサーに対しては、高い精度で結果が得られることだけでなく、小型化、堅牢性の向上、低消費電力化が要件として課せられるようになっています。産業の高度化に伴い、容易に持ち運べるインテリジェントなプラットフォームが求められているということです。そうしたプラットフォームには、環境水の検査やプロセス制御への適用といった多様なアプリケーションに求められる要件を満たせるだけの高い汎用性が必要です。本稿では、液体の分析をリアルタイムに実現するプロトタイピング用のプラットフォームを紹介します。そのプラットフォームをベースとすれば、携帯型のソリューションを迅速に構築することが可能になります。
液体の一般的な分析方法
液体の検査は様々な方法で行われます。それぞれの目的は、pH、濁度、蛍光など、試料中の未知のパラメータの値を測定することです。なかでも、液体の評価を光学的に実施する手法は一般的なものだと言えます。この方法であれば、非接触で検査を実施可能なだけでなく、正確な結果を安定して得ることができるからです。ただ、液体の光学的な分析を高い精度で実現するには、電子工学、光学、化学といった様々な分野の知識が必要です。光学的な分析では、まずLEDなどの光源からの光を試料に照射します。続いて、試料と相互作用した後の光をフォトダイオードで検出します。得られた応答は、濃度などの性質が既知の標準試料を使って取得した応答と比較できるようにプロットします。そのようにして作成したプロットは、検量線(Calibration Curve)と呼ばれます。検量線を使用すれば、未知の試料の性質を特定することができます(図1)。ただ、上記の内容は、実験室で行われる一般的な分析方法について説明したものだと言えます。ユビキタスなセンシングを実現するためには、分析の対象物や測定手法を様々な方向に拡張しなければなりません。また、測定用のシステムは小型のフォーム・ファクタに収める必要があります。そのようなシステムの設計や評価は非常に複雑になります。
液体の迅速な分析を実現するモジュール式のソリューション
アナログ・デバイセズの「ADPD4101」は、光学的な分析に利用可能なアナログ・フロント・エンド(AFE)ICです。LEDを駆動する機能やフォトダイオードからの信号を同期的に受信/処理する機能を備えており、高精度の光学測定を実現できます。高度な構成が可能な製品であることも特徴の1つです。また、光学的なS/N比は最高で100dBに達し、同期検波方式による周辺光の除去性能も非常に優れています。そのため、多くの場合、光を遮断するための筐体を使用する必要はありません。
アナログ・デバイセズは、このADPD4101をベースとするリファレンス設計「CN0503」を提供しています。これは、液体の分析システムのプロトタイピングを迅速に行うために開発されました。中核的なコンポーネントとしてADPD4101を使用しつつ、最大4系統のモジュール式光路と、液体の分析を実現するためのファームウェア、アプリケーション・ソフトウェアを組み合わせています。CN0503は、無線開発プラットフォーム「EVAL-ADICUP3029」に直接接続することができます。そのため、EVAL-ADICUP3029によって測定ルーチンとデータ・フローを管理することが可能です。また、EVAL-ADICUP3029をノート型パソコンに接続すれば、評価用のGUI(Graphical User Interface)を使って測定結果を表示することができます。CN0503を使用すれば、蛍光、濁度、吸光度、比色の測定を実現可能です。測定にあたっては、試料を入れたキュベットを、3Dプリントによって製作したキュベット・ホルダにセットします(図2)。このホルダには、レンズやビーム・スプリッタなどの光学系を収めます。同ホルダを適切な光路に差し込むことにより、プラグ&プレイで測定を実施できます。また、LEDとフォトダイオードのカードを交換することによって、カスタマイズを施すことも可能です。
以下では、CN0503を使用し、検量線を作成して未知の試料の分析を行う例を示します。測定項目としては、pH、濁度、蛍光を取り上げます。それぞれの測定を行った上で、評価用のGUIを使用して検量線を作成します。また、ノイズの値と検出限界(LOD:Limit of Detection)を算出し、CN0503を使用した各測定において検出可能な最低濃度を求めました。
吸光度を基にしたpHの測定
まずは、吸光度を基にして液体のpHを測定する例を示すことにします。
吸光度に関する予備知識
吸光度の測定を行えば、特定の波長の光の吸収量に基づいて、溶液中の既知の溶質の濃度を特定することができます。その濃度は、ランベルト・ベールの法則で示されているように吸光度に比例します。分析の対象となる液体が無色である場合、通常は呈色試薬を加えることによって測定を実施できます。ここでは、吸光度を利用したpHの測定方法を示します。pHは、水質検査や下水処理など多くの分野で測定されています。液体の分析における非常に一般的なパラメータだと言えるでしょう。pH以外の多くのパラメータについても、吸光度の測定を利用することで値を特定できます。例えば、溶存酸素量/生物化学的酸素要求量、硝酸塩、アンモニア、塩素などのパラメータに対応可能です。
光学系
図3に示したのは、吸光度の測定を行う場合の光路の構成です。CN0503を使用する場合、吸光度の測定にはどの光路(光路1~光路4)を使用しても構いません。入射ビームはビーム・スプリッタに向けられ、リファレンス用のフォトダイオードがビームの強度に対応する値をサンプリングします。そして、試料には残りの光が照射されて透過します。リファレンスの光に対する試料の光の比をとることで、LED光の変動成分やノイズが除去されます。また、周辺光の除去には同期用のパルスと受信用のウィンドウが使われます。
測定環境の構成要素
測定環境は以下に示す要素によって構成します。
- CN0503
- EVAL-ADICUP3029
- pH の測定用の API(Application Programming Interface)とアジャスタ・キット
- pH 測定用の標準試料

この例では、様々なpH値に調製した溶液に呈色指示薬(ブロムチモール・ブルー)を添加しました。添加後の溶液はキュベットに入れます。pHの測定には、430nmと615nmという2種類の波長の光を使用します。また、指示薬はpHに応じた吸光度の変化量を示す役割を果たします。CN0503を使用すれば、この一連の流れを簡単に実現することができます。それには、2種類の波長に対応するLEDカードを光路2と光路3に挿入します。その上で、キュベット・ホルダを別の光路に配置することによって測定を実施できます(図4)。
測定結果
CN0503が備える評価用のGUIを使用すれば、各光路に対応する測定結果をExcelに簡単にエクスポートすることができます。2種類の波長の光に対応して得られた検量線をそれぞれ図5、図6に示しました。
いずれの検量線も、吸光度に対するpHの値をプロットすることで作成しました。CN0503を利用する場合、「Add Trendline」というオプションを使用することで、検量線に対応する式を求めることができます。その式を用いれば、未知の試料の濃度を特定することが可能です。図中に示した式において、センサーからの出力が変数xであり、得られたyの値がpHを表します。手計算によって値を求めることもできますが、CN0503を使用して値を算出することも可能です。CN0503のファームウェアには、INS1とINS2という2つの5次多項式が実装されています。必要な多項式を保存したら、INS1またはINS2のモードを選択することで、必要な単位(この場合はpH)で測定結果のレポートを生成することができます。それによって、未知の試料に対応する結果を迅速かつ簡単に取得することができます。
続いてノイズの値を算出します。それに向けては、波長ごとに2つの異なるデータ・ポイントを選択しました。1つはpHの値が低いポイント、もう1つはpHの値が高いポイントです。ここで2つのポイントを使用したのは、フィッティング・カーブが直線ではなかったからです。表1にノイズの値として記載しているのは、各ポイントにおいて繰り返し測定を行って得た標準偏差の値です。これは、測定の正確さを表すものであり、試料の調製に伴うばらつきの影響は含まれていません。
pHが6.1の試料 | pHが7.5の試料 | |||
430nm | 615nm | 430nm | 615nm | |
RMSノイズの値〔pH〕 | 0.002098 | 0.000183 | 8.18994 × 10–7 | 0.000165 |
続いて、LODを算出します。通常、LODは低い濃度におけるノイズを測定し、信頼区間が99.7%になるように3を乗じることで算出します。pHは対数スケールで表すので、LODを確認するためのpH値としては7を選択しました(表2)。
pHが7の試料 |
||
430nm | 615nm | |
LOD〔pH〕 | 0.001099 | 0.001456 |
濁度の測定
続いて、濁度の測定方法の例を示します。
濁度に関する予備知識
濁度の測定では、液体中に浮遊する粒子が備える光の散乱特性を利用します。濁度は、液体の相対的な透明度を表す指標だと言えます。散乱される光の量と散乱角は、粒子の大きさ、濃度、入射光の波長によって決まります。水質の検査や、生命科学の分野で行われる分析など、濁度の測定は多くの用途で利用されています。CN0503を使用すれば一般的な濁度を測定できますが、光学的な濃度を測定することによって藻類の繁殖状況を調べるといったことも可能です。
光学系
図7に示したのが、濁度の測定に使用する光路の構成です。この図はディテクタの位置が90°または180°の場合の例を表しています。CN0503では、90°の位置のディテクタが必要になるので、濁度の測定に使用できるのは光路1または光路4だけです。濁度の測定は、様々な構成や標準試料を使用して行うことができます。ここでは、EPAメソッド180.1による測定方法の改変版を例として示しています。この測定方法では、比濁法濁度単位(NTU:Nephelometric Turbidity Unit)を使ってキャリブレーションやレポートが実行されます。
測定環境の構成要素
この例では、以下の要素を組み合わせて測定環境を構築しています。
- CN0503
- EVAL-ADICUP3029
- Hanna Instruments® が提供する濁度測定用の標準キャリブレーション・セット(図 8)
この例では、光路4を使用し、波長が530nmのLEDに対応するボードを使って測定を実施しました。

測定結果
CN0503が備える評価用のGUIを使用し、測定結果をExcelにエクスポートしました。それを基に、図9のような検量線を作成しました。
応答として得られた曲線は、2つの区間に分かれています。これは、90°の散乱を測定する場合、濁度が高いと応答性が低くなるためです。一方は濁度が低い区間であり(0NTU~100NTU)、他方は濁度が高い区間です(100NTU~750NTU)。そこで、各区間に対応するものとして2つの近似直線を導き出しました。図9に2つの式を示していますが、CN0503を使用すれば、結果となるNTU単位の値を迅速に表示することができます。各光路に対応し、それぞれの式の値をINS1、INS2に保存できるからです。ここでは、INS1とINS2に依存関係があるということが重要なポイントになります。つまり、1つ目の式であるINS1の結果は、2つ目の式であるINS2への入力(変数)となります。式の値が一度保存されたら、INS1を濁度の低い試料の測定に使用し、INS2を濁度が高い試料の測定に使用することができます。
ノイズの値を求める際には、繰り返し測定を行って標準偏差を取得するためのデータ・ポイントを選択します。得られた標準偏差の値がノイズの値に相当します。ここでは、直線近似によって式を得ているので、対象とする範囲の下端近くの1つのデータ・ポイントを選択しています。
12NTU |
RMSノイズの値〔NTU〕 |
0.282474 |
一方、LODを求める際には、ブランク試料または濃度の低い試料を使ってノイズの値を測定します。信頼区間が99.7%になるように、得られた値に3を乗じます。
ブランク試料 |
LOD〔NTU〕 |
0.69204 |
ホウレンソウの溶液における蛍光の測定
最後に紹介するのは、ホウレンソウの溶液の蛍光を測定する例です。
蛍光に関する予備知識
蛍光分子を含む試料に光を照射すると、電子が高エネルギーの状態に移行します。その後、電子はエネルギーの一部を消費し、より波長の長い光を放射します。この蛍光発光は、各種の物質に固有の化学的現象です。これを利用すれば、媒体中の特定の分子の存在や量を特定することができます。本稿の例では、ホウレンソウの葉を使用し、蛍光発光するクロロフィルの測定を行いました。蛍光の測定は、生物学的な分析に加え、溶存酸素や化学的な酸素要求量の計測に利用されます。また、牛乳の低温殺菌が適切に行われているかどうかを確認する方法としても一般的に利用されています。
光学系
図10に、蛍光の測定に使用する光路の構成を示しました。CN0503を使用する場合、吸光度の測定には90°の位置のディテクタが必要になります。そのため、測定に使用できるのは光路1または光路4のみです。通常、蛍光の測定に使用するディテクタは入射光に対して90°の位置に配置します。その上で、単色フィルタまたはロングパス・フィルタを使って励起光と放射光を適切に分離します。蛍光の測定は、非常に感度の高い低レベルのものになります。干渉の影響を受けやすいため、リファレンスとなるディテクタと同期検波方式を使用して誤差の要因を低減しなければなりません。
測定環境の構成要素
この測定に使用する環境は、以下に示す要素によって構成しました。
- CN0503
- EVAL-ADICUP3029
- ホウレンソウの溶液
測定にあたっては、ホウレンソウの葉を水と共にミキサーにかけてホウレンソウの溶液を作りました。その溶液は、濾過した上で原液として保存します。次に、その原液を希釈することで、様々な濃度のホウレンソウ溶液の試料を作りました(図11)。それらを標準の溶液として使用し、ホウレンソウの濃度(単位は%)を表す蛍光の検量線を作成しました。測定環境においては、波長が365nmの光に対応するLEDカードとロングパス・フィルタを光路1に挿入して使用しました。

測定結果
ホウレンソウの溶液に対応する検量線を図12に示しました。
この検量線の近似曲線に対応する式を保存すると、CN0503により、測定結果が%単位の値として直接レポートされるようにすることができます。
ノイズの値の取得に向けては、2つの異なるデータ・ポイントを選択しました。この測定では、曲線の近似結果は直線にはなりません。そのため、1つ目のポイントは対象とする範囲の下端の近傍から選び、もう1つのポイントは上端の近傍から選びました。ノイズの値は、各ポイントにおいて一連の測定を繰り返し、標準偏差を求めることによって取得しました(表5)。
ホウレンソウの濃度が7.5%の試料 | ホウレンソウの濃度が20%の試料 | |
RMSノイズの値〔%〕 | 0.0616 | 0.1158 |
LODの算出に向けては、ブランク試料または濃度の低い試料を使用してノイズの値を算出します。その上で、信頼区間が99.7%になるようにその値に3を乗じることによってLODの値を算出しました。
ブランク試料 |
LOD〔%〕 |
0.1621 |
まとめ
液体の光学的な分析を実施するためのシステムは複雑なものになります。そのプロトタイピングでは、正確な結果が得られるようにするために、化学、光学、電子工学をどのように組み合わせればよいのか慎重に検討しなければなりません。ADPD4101のような集積化されたAFEを使用すれば、小さなスペース、高い性能で、液体の光学的な分析を実現することができます。CN0503は、ADPD4101をベースとして構築されたリファレンス設計です。光学システム、ファームウェア、ソフトウェアを備えていることから、プロトタイピング用のプラットフォームとして利用できます。実際、使いやすく高度なカスタマイズが可能なCN0503を利用することで、必要な検討を迅速に実施できます。本稿で紹介した例からもわかるように、吸光度、比色、濁度、蛍光など、液体の各種パラメータについて、光学的な手法で正確に測定を実施することが可能です。
参考資料
「HI98703-11 Turbidity Calibration Standards(濁度キャリブレーション用の標準液「HI98703-11」)」Hanna Instruments
Optical Platform: Turbidity Measurement Demo(光学的プラットフォーム:濁度測定のデモ)、Analog Devices