Thought Leadership
スマート・ビルと比べてインテリジェント・ビルが より良い選択である理由
概要
本稿では、まずインテリジェント・ビルという用語の定義を明確化します。その上で、現在インテリジェント・ビルの普及を後押ししている要因について考察します。更に、新たなイーサネット技術によって既存のビルをインテリジェント・ビルに転換する方法を紹介します。
インテリジェント・ビルとは何か?
「インテリジェント・ビル」という用語は、1980年代の前半に米国で初めて使用されました。ワシントンのIntelligent Building Institutionは、この用語について以下のように定義しています。
「インテリジェント・ビルとは、様々なシステムを統合し、協調的な方法で資源を効率的に管理することにより、技術的な意味での性能、投資/運転コストの削減、柔軟性の最大化を果たすことが可能な建物のことである。」
「利口すぎるのは自分のためにならない(Someone is too smart for their own good)」という言葉をご存じの方もいるでしょう。しかし、「知的レベルが高すぎて自分のためにならなかった(They were too intelligent for their own good)」という言葉を聞いたことがあるという方はいないのではないでしょうか。スマート(利口)であることとインテリジェント(知的)であることには、明白な違いがあります。例えば、筆者の好きな言葉に、「利口な人は語り、知的な人は聞く(Smart people talk, intelligent people listen)」というものがあります。それと似たような話になりますが、スマート・ビルディングとインテリジェント・ビルディングには次のような違いがあります。まず、スマート・ビルディングでは、ユーザがシステムの動作をプログラムします。それによって、ユーザの意図に最も適した動作が得られます。一方、インテリジェント・ビルは、目的に応じたセンシング機能と処理能力を備えています。それらを使用して自身で情報を収集し、自身でプログラムを行って、最適だと考えられる振る舞いを示します。このような動作を実現するために、インテリジェント・ビルは、外部の状況を表す情報を必要なだけ取得するためのセンシング機能を備えていなければなりません。また、それらのデータをビルの「頭脳」(オンサイトやクラウドに配置することも可能)に転送するのに適した通信経路を備えている必要があります。加えて、取得した情報を処理するためには、頭脳の中に機械学習のアルゴリズムを備えていなければなりません。それを利用して、実行すべき最適なアクションを決定するということです。そうしたアクションを実行するためには、同じ通信経路を介して、そのアクションに関連するシステムに必要な情報を提供する必要があります。
インテリジェント・ビルの現状
荒野で道に迷ったり、無人島に取り残されたりといった不幸な状況に陥った場合、命を守れるか否かは「3の法則」で決まると言われています。その法則とは、3時間で風雨を避ける場所を見つけ、3日間で水を見つけ、3週間で食べ物を見つけなければ生き残れないというものです。つまり、このシナリオでは、風雨を避けるための場所を探し出すことが生き残るために最も優先すべき事柄として扱われています。現在、本稿を読んでいる方は、荒野で道に迷っているわけではないでしょう。しかし、そうした待避場所に対する人間の欲求は、インテリジェント・ビルにも反映させる必要があります。また、その欲求をどのように満たすのかというのは、地球や人間の未来にとって非常に重要なことです。新築/既存のビルのインテリジェント化は、デジタル化によって実現されます。つまり、ビルの運営とメンテナンスに影響を与える要因をデジタル信号に変換しなければなりません。そうした要因を表す信号をリアルタイムに測定し、結果をデジタル化してビルの頭脳に送り返すことで、分析と管理が行われるということです。新築/既存のビルで起きていることをいかにデジタル化/数値化し、エネルギーの効率とサステナビリティを高めるのか。そのことが、人類が将来的にカーボン・フットプリントを確実に削減する上での鍵になります。加えて、インテリジェント・ビルの未来について議論する際には、以下に示す4つの重要な分野について考慮しなければなりません。
- 健康と安全:居住者の健康状態を向上させることを意図して空間を設計することが重要です。居住者が安全であると感じ、気分や生活の質を高められるように環境が設計されていれば、生産性が向上します 1。このことは、COVID-19(新型コロナ・ウイルス感染症)の問題が継続するなか、人々がオフィスへ戻る上で特に重要性が増しています。
- サステナビリティ:カーボン・フットプリントの削減に向けて有効なレベルまで空間の効率を高める必要があります。光熱費を節約し、メンテナンス・コストを低減することによって、ビルのオーナーの生活を向上させることだけが目標になるのではありません。そうではなく、より多くの人々に環境的、経済的、社会的なメリットをもたらせるようにすることが求められます。
- レジリエンス(回復力):時間の経過によって生じる変化に対応するために、将来を見越して空間を設計しなければなりません。現在のビルは 150 年以上、利用できるように設計/建設されています。将来、どのようなイノベーションや技術が生み出されるのかはわかりません。しかし、現在では、より多くのシステムがオンライン化され、IP(Internet Protocol)アドレスで指定できるようになっています。そうしたなか、ビルに関する IT(情報技術)と OT(運用技術)の基盤になるインフラによって、将来予想されるデータ・トラフィックの増加に対処できるよう計画を立案することは可能です。
- 経済性:金銭的なインセンティブが適切に用意されていなければ、変革を実行に移すのは非常に困難です。金銭は価値であり、ビルをインテリジェント化することで得られる価値も金銭に変換できるようにする必要があります。とはいえ、節約の成果を金銭として得られるようになるまでは設備投資を行わなければなりません。オーナーが既存のビルをインテリジェント化したり、インテリジェント・ビルを新規に建設したりするためには、資金の調達に関する革新的なモデルが必要になります。
上記4つのテーマには、ビル・オートメーションを導入することによって対処できます。現在、ビル・オートメーションは、主に単独で機能する閉じたシステム/孤立したシステムに基づいています。つまり、他のシステムに影響を与えたり、他のシステムを作動させたりすることなく機能を実行しています。そうしたビル・オートメーションの例としては、HVAC(暖房、換気、空調)、照明、入退室管理、火災報知器、エレベータ、在室検知などが挙げられます。しかし、孤立化したシステムは非常に効率が悪く、カーボン・フットプリントが増加する要因になります。
なぜインテリジェント・ビルが必要なのか?
ここでは、インテリジェント・ビルへの移行を後押しているマクロ・トレンドについて考えます。また、インテリジェント・ビルに関連する技術への投資によって得られる主なメリットを紹介します。
図1に示したのは、インテリジェント・ビルのインフルエンス・ファンネルです。これは、現代の社会のエコシステムにより、インテリジェント・ビルの必要性がどのように高められているのかを表しています。ここでは、まず世界のマクロ・トレンドである都市化と気候変動について考えてみましょう。
ここで言う都市化とは、世界中の人々が地方から市街などの都市部への移動を進めている状況のことを指します。人々が都市に移動する理由は、より良い生活を送りたいからです。都市には雇用の機会があります。また、地方と比べて、物、サービス、医療、教育を手に入れるのが容易です。都市化が進む背景には、世界レベルで見れば人口が増加しているという事実があります。そして、2050年までには、世界中の人口のうち65%以上が都市環境で暮らすようになると推定されています。一方、世界中の建物の床面積は、2060年までに2倍になると予想されています。これは、40年間にわたり、世界のどこかにニューヨークと同じレベルの床面積が毎月生み出されていくということを意味します2。
一方の気候変動とは、地球規模あるいは地域的に気候のパターンが変化している状況のことを指します。特に、20世紀半ばから後半にかけての変動は顕著でした。化石燃料が大量に使用されたことにより、大気中のCO2のレベルが上昇したことが大きな要因です。IEA(International Energy Agency)は、世界におけるCO2の排出量のうち40%がビルに起因する可能性があると見ています。しかも、そのうちの28%はビルの運用とメンテナンスだけが原因で生じていると推定しています3。更に、現在、ビルで使用されているエネルギーのうち50%は浪費されているという憂慮すべき見積もりも存在します4。ビルにおけるエネルギーの消費量、ひいてはCO2の排出量は、近年かろうじて横ばいになっています。たとえ、オンライン化されるビルが増加したとしても、エネルギー効率が向上しない限り、環境に及ぶ影響は大きくなる一方です。
国際連合環境計画(United Nations Environment Programme)や世界銀行(World Bank)といった影響力を持つ多くのシンク・タンクは、現在、ビルのエネルギー効率を高めるための政策を重視しています。具体的には、サステナブルでインテリジェントなビルに対する投資にインセンティブを与え、EU(欧州連合)が定めたサステナビリティに関する基準を満たすよう古いビルを改修することを目指しています。
世界各国の政府は、気候変動に対処する義務に縛られていると言えます。そのため、提案された政策を実施し始めています。現在、EUはグリーン・ディール政策の一環として、大規模な改修プログラムに対する助成金を提供しています。EUには約2億2千万棟のビルがあります。それらのうち85%は2001年以前に建てられたものでした。既存のビルのうち90%は2050年になってもまだ使われていると考えられます。このことが、改修の大きな基盤になっています。EUは、2030年までに3千万棟のビルを改修することを目指しています。EUと同様に、米国ではインフラ法案(Infrastructure Bill)とスマート・ビル加速法(Smart Buildings Acceleration Act)が策定されました。中国は、市場で同様の取り組みが進むよう5ヵ年計画を定めています5。
EUでは、ビルのエネルギー性能に関する指令(Energy Performance of Buildings Directive)の改訂が控えています。政府の政策とビルに関する規制により、エネルギー効率の向上が推進されています。同様に、米国ではASHRAE(米暖房冷凍空調学会)の規格によって法規制の遵守が促進されています。また、他の国でも独自の規制が施行されつつあります。
加えて、グリーン・ビルの認証やインテリジェント・ビルの認証を取得するということもより一般的になっています。場合によっては、そのために財政投資が必要になることがあります。ただ、ほとんどの場合、そうした認証によってビルの収益力が大幅に高まるということも理解されています。有名なグリーン・ビル認証としては、LEED、BREEAM、EDGEが挙げられます。また、現在では中国の国内向け認証も急速に広まりつつあります。一方、インテリジェント・ビルの認証は新しいものです。TIA(米国通信工業会)とUL(Underwriters Laboratories)が共同でSPIREを策定したことから、普及が促進されると考えられます。
ビルの改善による潜在的な経済性を考えれば、より健康的で、より環境に優しく、よりインテリジェントなビルにはプレミアがつきます。ロンドンでは、認証を受けたビルは、同じ地域の認証を受けていないビルと比べて、賃貸料や販売価格に4%のプレミアが付加されるという調査結果があります6。
世界中の出来事や経済の影響を受けて、ビルの形は変化しつつあります。当然のことながら、ビル・オートメーションに関わる有力企業はその動向に注目しています。四半期ごとの収益報告を見てみると、CO2の排出量を数百万トンも抑えることで、より環境に優しく、より健康的なビルを実現できることが強調されていることがわかります。ビル・オートメーションの分野の企業は、CO2の排出量の削減を達成するために、ビルの状態を表す膨大な情報を数値化/デジタル化する方法を活用しています。つまり、エッジのノードに至るまでインテリジェント化を施し、よりインテリジェントなデータを収集し、ビルの複数のシステムにわたって実用的な知見を生成する方法を適用しているのです。そのようにすることで、各ビルの性能を微調整/最適化する機会が生まれます。その結果、エネルギー効率とサステナビリティを最大限まで確実に高められるようになります。
インテリジェント・ビルの実現方
現在では、ほとんどのビルにはビル管理システム(BMS:Building Management System)が設けられています。それらは、本稿の冒頭で述べたように、実行する機能に特化した孤立化したサブシステムで構成されています。例えば、照明、HVAC、入退室管理などを担うシステムです。そうしたビルをインテリジェント化するためには、単にそれらを破棄して新たなインフラ一式を導入すればよいというわけではありません。それではあまりにもコストがかかりすぎるからです。既存のインフラについて数値化/デジタル化し、個々のシステムを相互接続できるようにしなければなりません。そのような技術によって、ビルの改修を担う市場を実現するという役割は、半導体業界に委ねられています。ここで図2をご覧ください。これは、複数の技術と通信プロトコルを適用することで、旧来のBMSを備えるビルをインテリジェント・ビルに転換することができるということを示しています。
イーサネットは、私たちの日常生活やビジネスに高いデータ・レートをもたらす一般的なプロトコルです。しかし、イーサネットには、到達できる距離やサポートできるトポロジといった面で限界があります。シングルのツイスト・ペア・ケーブルのような単純なものにより、イーサネット/インターネットをベースとするネットワークを1kmの距離にわたって敷設できるとしたら、どのような変化が起きるでしょうか。そのようなことが可能であれば、クラウドからエッジまでをシームレスに接続できるということになります。言い換えれば、ITとOTの世界を統合し、データを収集しても実用的な知見も価値ある知見も生み出せない既存の孤立化したシステムを改善できるということです。
そのような観点に立てば、10BASE-T1Lが非常に重要な技術であることがわかります。このプロトコルを利用すれば、クラウドからエッジまでのシームレスな接続が可能になるからです。その結果、エッジのノードをIPアドレスで指定できるようになり、どこからでも実用的な制御をリアルタイムで行えるようになります。そうしたシームレスな制御が可能になれば、所有コストを低減できます。なぜなら、ネットワークがシンプルになり、データを簡単に収集/解釈したり、導入/メンテンナンスの作業を簡素化したりすることが可能になるからです。また、以前は単純なアナログ方式のセンシングが行われていた部分に、インテリジェンスを付加することができるようになります。エッジに数値化/デジタル化を適用し、よりインテリジェントなデータを生成することによって、ビル全体のデジタル化を実現できるということです。
10BASE-T1Lは、2019年にIEEE 802.3cg規格として承認されました。アナログ・デバイセズは、その委員会のメンバーであり、同規格の普及を推進する立場にありました。この規格の重要なポイントは、1本のケーブルによって10Mbpsのデータと電力を供給できることです。しかも、シングルのツイスト・ペア・ケーブルによって、1kmの通信距離を実現できます。何よりも、ビル内の改修を行う際に既存のツイスト・ペア・ケーブルを利用することが可能なのです。
10BASE-T1Lは、RS-485といった既存のインフラと比較して、いくつか非常に有用な長所を備えています。データの転送レートは1kmにわたって一定であり、RS-485のように距離に左右されることはありません。また、RS-485ではノードの数が256に制限されていますが、10BASE-T1Lでは無制限です。しかも、PoE(Power over Ethernet)と同様の方法により、シングルのツイスト・ペア・ケーブルによって最大52Wの電力も供給できます。一方、RS-485では、エンジニアド・パワー(engineered power)と呼ばれる手法しか利用できません。
とはいえ、RS-485は、特定のユース・ケースに対応するビル・オートメーションにおいては妥当な地位を占めています。このことは十分に認識されています。また、ビルの完全なデジタル・トランスフォーメーションは一夜で実現できるようなものではありません。したがって、当面は既存のシステムと並行して10BASE-T1Lをベースとするシステムを稼働させる必要があります。その場合、10BASET-1LによってエッジまでのシームレスなIPネットワークを構築し、それを、旧来のアーキテクチャ向けのRS-485に対応するシステムやソフトウェアで構成が可能なI/Oと協調的な形で運用することになります。
10BASE-T1Lの規格では、1kmの通信距離を確実に達成するための指針を示しています。ただ、その距離は達成できない可能性があるということを認識した上で、他のケーブルを使用しても問題はありません。シールド付きのケーブルとシールドのないケーブルの両方を使用できるので、ほとんどの場合、改修を実現できます。また、1kmのケーブル接続のどこに問題があるのか正確に特定することができたなら、そのことは有利に働くでしょう。BMSの運用を担う人は、何kmにも及ぶケーブルを使用するシステムの導入、試運転、メンテナンスに伴う労力の大きさを十分に認識しています。10BASE-T1Lでは、コンプライアンス・テストやリンクの品質のテストと共に、ケーブルの敷設やメンテナンスを対象としたテストを実行することも可能です。
まとめ
温暖化が進んだ結果、地球上では既に複数の種の絶滅を招いてしまいました。CO2の排出量を削減するためには、ぜひともビルのインテリジェント化を強力に推進する必要があります。努力を怠れば、次に絶滅するのは私たち人間かもしれません7。インテリジェントなBMSは、各種の意思決定に必要な情報を提供してくれます。例えば、サステナビリティ、効率、通信、ビルの制御/自動化、従業員の健康と安全、セキュリティなどに関する情報です。そうした情報を活用すれば、健康と安全、サステナビリティ、レジリエンス、ビルの市場の経済性のレベルを高めることが可能になります。
インテリジェント・ビルの詳細について知りたい方は、analog.com/jpにアクセスし、インテリジェント・ビル/インフラストラクチャ・チームにお問い合わせください。
参考資料
1 Juan Palacios、Piet Eichholtz、Nils Kok「Moving to Productivity: The Benefits of Healthy Buildings(生産性への移行:健全性に優れるビルがもたらすメリット)」PLoS ONE、Vol. 15、No. 8、2020年8月
2 「68% of the World Population Projected to Live in Urban Areas by 2050, Says UN(2050年までに人類の68%は都市部で居住、国連が予測)」UN Department of Economic and Social Affairs、2018年5月
3 Edward L. Glaeser、Matthew E. Kahn「The Greenness of Cities: Carbon Dioxide Emissions and Urban Development(都市のグリーン化:CO2の排出と都市開発)」National Bureau of Economic Research、2008年8月
4 「Energy Use Overview(エネルギーの使用状況)」Sustainable Energy Authority of Ireland、2020年
5 「Questions and Answers on the Renovation Wave(リノベーション・ウェーブに関するQ&A)」European Commission、2020年10月
6 Natasha Sadikin、Irmak Turan、Andrea Chegut「The Financial Impact of Healthy Buildings: Rental Prices and Market Dynamics in Commercial Office(健全性に優れるビルがもたらす経済的な影響:商業オフィスの賃料と市場の動向)」MIT Center for Real Estate、2021年2月
7 「Global Warming and Endangered Species Initiative(地球温暖化と絶滅危惧種に関するイニシアチブ)」Center for Biological Diversity