SHARC+ DSPを使って実現したマジック・サウンド・ボックス「Quad Cortex」

比類ない精度と信じられないほど自然なダイナミック応答を実現する最先端の技術を駆使し、あなたのお気に入りの楽器をエミュレートします。


著者Maikel Kokaly-Bannourah、アプリケーション・エンジニア, Douglas Castro、Neural DSP Technologies 最高経営責任者


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Neural DSP Technologiesは、通常よりも一桁速いペースで音楽業界を前進させる技術を開発しています。少なくとも20年は先を行くというのが目標です。このような野心的な方針の下に誕生したのが、地球上で最もパワフルなフロア型モデラー「QuadCortex」です(図1)。その膨大な処理能力は、クワッドコアのSHARC+® によって支えられています。このプログラマブルなDSPは、2GHzの動作に相当する性能を発揮します。そのため、サウンド・デザインについて無限の可能性が得られます。

図1. Quad Cortexの外観。フロア型のモデラー製品です。

創造性の解放

Quad Cortexは、音とルーティングのオプションを備えたプラットフォームを提供します。これを利用すれば、ミュージシャンは何の制約にも縛られることなく創造性を発揮することができます。その外観は、シンプルかつクリーンでなければならないと考えていました。また、システムの実装の複雑さを抽象化し、楽しく直感的に扱えるようにするためのGUI(グラフィカル・ユーザ・インターフェース)を提供する必要もありました。

上記のような目標を達成するために、Neural DSPのエンジニアリング・チームは、ハードウェアとソフトウェアに関する設計上の課題の解決に取り組みました。Quad Cortexでは、この上なくクリーンかつシンプルで楽しさを感じられるユーザ・エクスペリエンスを維持したいと考えていました。その上で、最大限の選択肢と汎用性をユーザに提供できるようにしなければなりませんでした。

パワーと使いやすさ

音楽用の機器を使用する場合、ユーザはほぼ間違いなくパワーとシンプルさのうちどちらかを選択しなければなりません。NeuralDSPの最大の課題は、世界で最も要求の厳しいミュージシャンにとって十分にパワフルなものでありながら、初心者にとっても十分にシンプルで直感的に利用できる製品を構築することでした。そのためには、使いやすさ、スケーラビリティ、プログラマビリティ、電力効率、確定的かつ小さな遅延を実現できるオーディオ処理能力が不可欠でした。

そうした難易度の高い課題をクリアするためにNeural DSPが選択できる方法はただ1つでした。それは、アナログ・デバイセズのSHARC+ DSP製品を使用することです。SHARC+は、オーディオ・エンジニアリングの分野において、プロ用オーディオのゴールド・スタンダードと見なされている技術です。ファミリ製品として、非常に性能の高いマルチコアSoC(System on a Chip)が提供されていることも魅力の1つです。そのこともあり、SHARC+のソリューションを採用することにしました。その結果、Neural DSPは、単一のデバイスまたは簡単にスケーリングできるデバイスを組み合わせることにより、非常にパワフルなシステムを構築できることにすぐに気づきました。簡単にスケーリングできるというのは、システム設計の作業を迅速に進める上で非常にありがたいことです。

マルチコア・プロセッサのシリーズ「ADSPSC58x」と「ADSP-2158x」

SHARC+の製品ファミリには、「ADSP-SC58x」と「ADSP-2158x」というプロセッサ・シリーズが用意されています。以下では、両シリーズを代表するものとして「ADSP-SC589」を例にとります。同製品は、SHARC+とArm®を採用したマルチコアのSoCです。これを採用すれば、車載/民生/プロ用の先進的なリアルタイム・オーディオ機器において、高い性能と確定的かつ小さな遅延を実現したオーディオ処理能力を得ることができます。ADSP-SC589は、SIMD(Single Instruction, Multiple Data)を採用した2個のSHARC+コアと、Arm Cortex®-A5コアを搭載します。これらのプロセッサは、32/40/64ビットの浮動小数点演算に対応します。そして、高性能なオーディオ演算や浮動小数点演算を必要とするアプリケーション向けに最適化されています。更に、大容量のSRAM、入出力(I/O)のボトルネックを解消する複数の内部バス、豊富な機能を備えるオーディオ・ペリフェラル・セット、多様な制御/接続オプションを備えています(図2)。

 

図2. SHARC+プロセッサ(ADSP-SC58x)のブロック図

 

Quad Cortexのアーキテクチャには、2個のADSP-SC589が使われています。つまり、4個のSHARC+コアによって信号処理が行われます。そのため、プログラマブルなDSPによって、2GHzの動作に相当する極めて高い処理能力が得られます。

ハードウェア・ベースのフィルタによるシステムの高速化

SHARC+は、浮動小数点演算に対応する高性能のコアと大容量のメモリを備えています。そのため、遅延の小さいオーディオ信号処理のアルゴリズムを実行したり、大容量のオーディオ・データをバッファしたりすることができます。それに加え、SHARC+は高性能なFFT(Fast Fourier Transform)ブロックやFIR/IIR(Finite/Infinite Impulse Response)ブロックなど、専用のハードウェア・アクセラレータ・エンジンを備えています。

Quad Cortexでは、インパルス応答に基づいてスピーカのシミュレーションを実行します。それには、オンチップのFIRブロックを使用します。SHARC+コアでは、それ以外の演算を並列に実行可能です。つまり、FIRブロックによって、コアの演算能力をMIPS単位で大幅に節約できることになります。また、FIRブロックはアンチエイリアシングの処理にも非常に有効です。アンチエイリアシングは、ギター・アンプなど、非常にゲインの高い非線形システムを必要とする製品には不可欠な要素です。

更に、ハードウェア・ベースの暗号化エンジンを使えば、セキュア・ブート、IPコード認証、機密性の維持、復号化、暗号化といったセキュリティ機能を実現できます。今日のプロ用オーディオの市場では、メーカーの知的財産(IP)を保護しつつ、セキュアな製品展開を保証するということについての懸念が高まりつつあります。一連のセキュリティ機能は、そうした問題を解決するための重要な要素です。

オーディオ処理の遅延を3ミリ秒未満に抑える

SHARC+をベースとするSoCのアーキテクチャは、高速DMA(Direct Memory Access)チャンネルと大容量のSRAMブロック(L1とL2)を備えています。これらにより、コア間で使用するオンチップ/オフチップの効率的な通信プロトコルを実装できます。また、豊富な機能に対応するペリフェラル・セットを備えていることも特徴の1つです。例えば、ボード上の2つのADSPSC589の間でオーディオ・データを高速に交換する際には、1バイト幅のリンク・ポートを使用できます。また、MIDI(MusicalInstrument Digital Interface)や診断に対応するためのTWI(Two-Wire Interface)としてI2Cなども利用可能です。結果として、遅延をわずか3ミリ秒未満に抑えることができました。

図3. 4個のSHARC+コアを使用するマルチチップ/マルチコアのアーキテクチャ

異なるコアを搭載するアーキテクチャ

フロア型のモデラーであるQuad Cortexは、7インチ(約17.8cm)のマルチタッチ・ディスプレイを搭載しています(図4)。強力なパラメトリック・イコライザ(EQ:Equalizer)により、指先だけで驚くほど簡単にあらゆることを制御できます。

Quad Cortexが備えるSHARC+のDSPコアは、高度なオーディオ処理だけを集中的に実行します。それに対し、ArmCortex-A5上ではLinux®が稼働します。同OS上ではUIが実行され、Quad Cortexのメイン・コントローラとして機能します。

また、同じくArm Cortex-A5コアが備えるUSBインターフェースを介して、Audio Class 2に準拠するデバイスが管理されます。種類の異なるコアを搭載するADSP-SC589では、Arm Cortex-A5コアが制御/接続の機能を担います。一方のSHARC+のDSPコアは、浮動小数点エンジンによって、演算を多用するオーディオ・エフェクト処理を実行します。種類の異なるコアが相互に補完することで、Quad Cortexでは優れた機能と性能が実現されています(図3)。

図4. 7インチのマルチタッチ・ディスプレイ。パワフルなパラメトリックEQ機能を利用できます。

AIを活用して音を再現する

Quad Cortexのアーキテクチャは、ハイエンドのオーディオ処理機能を数多く備えています。その中の1つに、ミュージシャンがお気に入りのサウンドをキャプチャ/共有/ダウンロードできるようにする機能があります。Quad Cortexは、独自のバイオメトリックAI(人工知能)技術を搭載しています。それにより、あらゆる物理的なアンプ、オーバードライブ、キャビネットのサウンド特性を学習し、これまでにない精度で再現することができます。

Neural DSPの洗練されたニューラル・ネットワーク・アルゴリズムは、人間と同様に音を知覚し、驚くほど自然な音としてキャプチャします。この点が他の製品とは大きく異なります。この処理はディープ・ラーニングとの境界線上にあり、かなりの演算量を必要とします。4つのSHARC+コアをすべて使用し、卓越した性能を誇る浮動小数点演算を駆使することで、非常に高い時間効率でそれらの処理を実行します。

軽量でコンパクトな独特のデザイン

Quad Cortexの長所は、その比類ない精度と信じられないほど自然なダイナミック応答だけではありません。同製品は、非常にコンパクトかつ軽量なアルミ製の筐体を採用しています。また、そのデザインは、フットスイッチをつまみのように使用できるモダンかつ独特なものです。Quad Cortexは、最もよく似た他社製品と比べて約2倍パワフルでありながら、重さは1/2、サイズは1/3に抑えられています。このような小型/軽量化を可能にしたのは、SHARC+技術を採用したコンパクトで集積度の高いSoCソリューションです。ADSP-SC589は、寸法が19mm×19mmで529ボールの小型BGAパッケージで提供されています。

Quad Cortexの開発プロジェクトは、難易度は高いものの楽しい作業であふれていました。例えば、応答性の高いUIを実現するためのイメージのレンダリング、DSPコアによるニューラル・ネットワークのトレーニング、最適化されたオーディオ・アルゴリズムの実装、ワイヤレス・プリセット・シェアリングのためのクラウド・プラットフォームの開発、ファームウェアのアップデートなどの作業が必要でした。これらは、この画期的な製品を開発する過程で遭遇した数多くの課題のうちのほんの一部にすぎません。言うまでもなく、開発作業を完了するまでには複数年を要しました。しかし、Quad Cortexは、ミュージシャンがこれまで以上に創造力とインスピレーションを発揮できるよう支援する最高級のプロ用オーディオ製品となったはずです。Neural DSPとアナログ・デバイセズは、そのように確信しています。

参考資料

Quad Cortex Product Page(Quad Cortexの製品ページ) )、Neural DSP Technologies、2020年
SHARC Audio Processors/SoCs(SHARCオーディオ・プロセッ サ/SoC)、Analog Devices、2020年
ADSP-SC58x/ADSP-2158x: SHARC+ Dual-Core DSP with Arm Cortex-A5 data sheet(ADSP-SC58x/ADSP-2158x:Arm Cortex-A5と2つのSHARC+ DSPコアを搭載、データシート)、Analog Devices、2018年12月


著者について

Maikel Kokaly-Bannourahmaikel.kokaly-bannourah@analog.com)は、アナログ・デバイセズのアプリケーション・エンジニアです。2000年に入社しました。専門は組み込み処理とコネクティビティで、20年以上にわたって当社のDSPに携わっています。また、当社のプロセッサ/DSP製品群に深く関わっており、産業、車載、民生、プロ用オーディオなど、広範なアプリケーションをサポートしています。英ハートフォードシャー大学で電気/電子工学の優等学士号を取得。スペインのラス・パルマスのMBAビジネス・スクールで経営学の修士号を取得しています。

Douglas Castrodoug@neuraldsp.com)は、NeuralDSP Technologiesの共同創設者であり最高経営責任者(C E O)を務めています。チリ系のフィンランド人であり、エレクトロニクス技術者、ミュージシャン、技術分野を対象とする起業家として活動しています。同社の設立前には、ベース・ギター用のアンプで市場をリードするDarkglass Electronicsという企業を創設しました。ここ10年間は、世界中で50万人を超えるミュージシャンに使用されているオーディオ製品を個人的に設計したり、そうした製品の開発を統括したりしています。